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 小熊座・月刊


   2023 VOL.39  NO.455   俳句時評


     批評に応えて
                         樫 本 由 貴


  はじめに、時評から逸れるが『小熊座』(2023・1)掲載の拙稿「原爆俳句ア

 ンソロジー句集『広島』を読むために(前)」の内容の訂正をさせて頂く。この文

 章は、2022年11月20日発行の『里』11月号の特集「U‐50が読む句集

 『広島』」に対する批評である。筆者は本文中、堀田季何による巻頭随想「原爆俳

 句の当事者性と価値」に対し、句集『広島』が1955年に作成されたことの価値

 を肯定的に捉えるために、堀田が「ビキニ環礁での水爆実験を題材にとった句を「ニ

 ュース俳句の類」と同列に遇することには異を唱えておきたい」と主張している。

  しかし、この記述には誤読がある。筆者が取り上げた堀田の主張部分をここに引

 用する。



    彼ら(筆者注=金子兜太や佐藤鬼房、細見綾子らを始めとした)専門俳人の作

   品にも駄句は少なくない。ニュース俳句の類だ。また、ビキニ環礁での水爆実験

   を詠んだ句など、広島の原爆から少し外れた句もある。



  見てわかる通り、堀田はビキニ環礁での水爆実験をテーマに取った俳句をニュー

 ス俳句と同列に並べてはいない。この点、筆者の誤読をお詫びして訂正する。申し

 訳ありませんでした。

  なお、筆者は「ニュース俳句」にも広島の原爆表象の記録としての価値を見出して

 おり、その点で「駄句」とは思わない。そして、筆者は『広島』にビキニ環礁での水

 爆実験をテーマに取った俳句を投句することにも論理を見出している。1955年に

 成立した『広島』の俳句とその書き手たちにとっては、広島の原爆と水爆実験は強く

 結びつく〈記憶〉と〈出来事〉であったと推察するからである。以上、『小熊座』1

 月号の拙稿についての訂正と補足とする。

  さて、3月に入り、マスクの着用を「個人の判断に委ねる」という政府方針が発表

 された。思い出されるのは、大正9年、『改造』に発表された菊池寛のエッセイ「マ

 スク」である。

  病弱な「私」は、前年の暮から流行したスペイン風邪を恐れ、3月頃までマスクを

 外さなかった。しかし5月を迎えると「てれくさゝ」に暖かな気候も手伝ってマスク

 を外した。3月まではマスクをつけることで「文明人」ぶっていたが、一度マスクを

 外してしまえば、再び病が流行の兆しを見せてももうマスクはつけなかった。そんな

 折、「私」は野球場への道すがら、黒いマスクをした青年に追い越される。マスク姿

 の青年に流行病を思い出した「私」は、彼に強い不快感を持つが、「私」はこの苛

 立ちを、たった一人でもマスクをつける青年の勇敢さ、強さに対する、弱者の反感

 ではないかと沈思する。

  ごく短いエッセイだが、今年の「5月」には多くの人々の内心で「私」の心持ちが

 再演されることだろう。私たちは弱い。マスクの着用の有無に伴う「てれくさゝ」も

 引き受けつづけられないくらいには。けれどより大きな苦しみに向かう姿も、人間は

 時折垣間見せる。

  3月7日の読売新聞に、15年ぶりに改訂され『新版 角川大歳時記』が「東日本

 大震災の日」を春の季語として立項したという記事があった。2012年発売の小学

 館『日本の歳時記』には既に「東日本大震災忌」が立項されていたことでもあり、誰

 しも予想し得たことなので今更の感すらあるが、わざわざ新聞の記事になるとはと

 驚いた。歳時記という権威や、季語という一年で循環する理が、東日本大震災とい

 う出来事を呑みこんでいくのを目の当たりにした気分だった。

  ただし、加島正浩が2021年3月11日に「震災俳句を読み直す」(堀切克洋運

 営のウェブサイト「セクト・ポクリット」にて連載)の第一回で指摘したように、震

 災以後を生きることを迫られた人々にとって、東日本大震災は節目ごとに「あえて

 「思い出す」ようなものではない」。この意味を、加島は次のように述べる。



    「震災後」を常に生きているということは、11か月、震災を忘却の底に沈め

   ていた罪滅ぼしをするかのように1年に1度「思い出す」行為を共有できず、そ

   こからも締め出されていることを意味する。



  震災後を生きる俳人は、震災後を生きる苦しみに加えて、震災やそれにまつわる

 出来事を「思い出」さないことによって、俳句における強固な共同体から外れること

 を余儀なくされた。この二重の苦しみが、歳時記に東日本大震災の日が立項された

 からとて、癒えるわけでもないだろう。むしろ立項されることで、季語として捉える

 人とそうでない人間との分断は可視化されたとさえ言えるかもしれない。我々に大

 切なのは高野ムツオや照井翠、渡辺誠一郎など、この苦しみに向き合いつづけた俳

 人の仕事を「思い出す」ことだろう。

 では次のような苦しみには、人々はどう向き合うのであろうか。柳元佑太は、『俳

 句』(角川文化振興財団)3月号の時評「俳句と〈国家〉について」の結びで、仮想

 のソクラテスに次のように語らせている。



   そなた(筆者注=柳元)を含む、大多数の、母語というタオルケットに包まれた

  まま俳句を書き続けるということを選択する人間が、知らず知らずのうちに〈国

  家〉という毒をあおっているということを認めることから、俳句は書かれ始めるの

  ではないかね。まずは自らが飲んでいた毒に正しく苦しむところから始めるべき

  なのだ。



  柳元はこの時評内で、拙時評「歴史的仮名遣いと文語で、書くこと」(『小熊座』

 1月号)で筆者が「自然とは〈国家〉ではない」と書いたことに関し、熱帯季語や戦

 時中の外地における日本語教育の問題を取り上げ、目の前の何を〈自然〉とするの

 か、その価値観すら国家に育まれたものである以上、自然は〈国家〉ではないとは

 言えないと述べる。この指摘には頷くばかりである。

  先の東日本大震災の歳時記立項は、〈共同体からの脱落〉の苦しみを可視化し

 た。柳元が強調するのは〈共同体とのグロテスクな癒着〉の苦しみだ。我々にはある

 だろうか。「正しく苦しむ」胆力が。




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