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 小熊座・月刊


   2020 VOL.36  NO.419   俳句時評



      しなやかなる詩魂
               
―宇多喜代子俳句に学ぶ

                              武 良 竜 彦



  宇多喜代子氏の代表的な作品の一つ、

   天皇の白髪にこそ夏の月        『夏月集』

 は、天皇制に対する賛否二元論の観点から複雑な受け止められた方をしたようだ。

  敗戦直後、盛装の昭和天皇とマッカーサーの写真が、新聞で大々的に報道されたときの

 ことについて、赤坂憲雄は著書『王と天皇』(※注1)で次のように述べている。

     ※

  占領軍はこの写真を日本の大衆の脳裡に灼きつけることで、もっとも効果的な天皇の権

 威失墜を狙ったにちがいない。(略)だが……もしかしたら、大方の日本人の心理の深いと

 ころでは、占領軍のまるで予期せざる、もうひとつの異質なドラマが秘めやかに演じられて

 いたのかもしれない。つまり、日本の民衆のいくらかの部分はあの写真のうえに、巨大な

 専制権力=〈王〉によって犯され蹂躙される、あえかにして美しく小さき天皇の面影を認め

 て、ひそかに悲劇感情を揺すぶられたにちがいないということだ。

     ※

  宇多喜代子氏も著書『ひとたばの手紙から』(※注2)で、この『王と天皇』について触れ

 た後、こう述べている。

     ※

  赤坂憲雄は、この著書で「文化概念としての天皇制をめぐって、日本人の美意識の陰微

 な昏がりに垂鉛を降ろしていったときに、ある人々が発見するにちがいない、純粋理念とし

 て結ばれた傷付きやすい像である」として、幼童天皇について語った上でかく述べている

 のである。暝目する思いでこれを読む。/かの写真を見たとき、祖母は「おいたわしい」と

 言って目をショボショボさせた。四年生であった私にしてなんとなくその感を抱いた。

     ※

  視座が日本人の文化的基層の地平に届いている。明治から昭和天皇までは接ぎ木され

 た近代政治制度の覇権的帝国主義国家の長としての役目を負わされ、平成天皇は身体

 性を剥奪された、抽象的な「象徴」などという役目を負わされた。個人としての人権など無

 視して、その人間としての存在を「象徴」という記号性の中に閉じこめているのは、私たち

 「国民」とやらの「総意」とされる。そんな中での天皇の「白髪」さえ生える生身の人間として

 の「沈黙」の受忍を、「天皇の白髪にこそ夏の月」という、どんな社会批評言より深い強度

 を持つ句は表現している。

  同書の、次の言葉にも同じ視座が覗える。

     ※

  非戦闘の場にあったものが、刀や銃という人を殺傷するための道具を持って出ていった

 人に対して発してはならぬ問いというものがあるとするなら、唯一「あなたは人を殺したか」

 であろうと、私はいつしかそう思うようになっていたのである。

     ※

  戦争について「正義」という社会批評的な文脈だけで、そのことを問い詰めることに、どん

 な文学的意義があるだろうか。宇多喜代子氏は、地獄図のような戦場体験をした兵士の、

 通常の言葉では言い表せない複雑な「沈黙」の思いを、我がこととして引き受けている。

  同書で宇多喜代子氏は、自分の少女時代体験した戦争と、俳人たちがいかに戦争と向

 き合ったかを、客観的に綿密に検証し、こう総括している。

     ※

  批判精神の立つ余地のないあの時代を知る身で、国家体制に準じた人々を詰ることは

 したくないが、作品の方向を指示するものが国家であるというところに、どうしても釈然とし

 ないものが残る。作家個人が自己の表現でもって体制の方向を示唆することは文学の領

 域であろうが、表現にとって最大の悲劇はその逆の場合である。

     ※

  つまり自己表出としての文学が、「体制」側の指示表出言語にその座を明け渡した錯誤

 の歴史が指摘されている。それ以上にその前の「批判精神の立つ余地のないあの時代

 を知る身で、国家体制に準じた人々を詰ることはしたくないが」という言葉に、宇多喜代子

 氏独自の視座が示されている。帰還兵士たちの忘れようとしても忘れることのできない悔

 恨の傷みを現在化し、共有し続けようとする詩魂がここにある。普通の意味文脈では言う

 に言えないこと、言葉を失ってしまうほどの命の危機的で苛烈な現場、その在処を可視化

 し、「沈黙」の重さと深みに向かって言葉を与える、絶望的とさえ思えるほどの試みこそが

 文学ではないか。

  このような深い視座から、宇多喜代子氏はどんな俳句を創造してきたのだろうか。先ず

 その出発点、十八歳から俳句を始めた初期句篇「遥遥抄」(※注3)から数句を引く。

   遠い台風前の百姓追い越せず

   腹の動くまないたの鱚目も動く

   色のあるもの食いつくす三ヶ日

  十代にして自分の命を成り立たせているものへ視線が届いている独自の作句法である。

  処女句集『りらの木』(草苑俳句会・昭和五十五年刊)では、それが自己表出的表現とな

 って確立している。

   わが名かくとき淋しきよ夏の暁

  女性性を突き抜けた存在の孤独の表現である。

   野の蝶をみな懐中にかくしけり

   晩春のみどりのつまる魚の腸


  根源的自然詠の方向性もすでにここにある。

  『夏の日』(海風社・昭和五十九年)では、

   ぬれ髪を振りては肉を叩く音

   夏の日のわれは柱にとりまかれ

   麦よ死は黄一色と思いこむ

   魂も乳房も秋は腕の中


  このように命の手触りに溢れる表現が多い。

  『半島』(冬青社・昭和六十三年刊)では、

   真二つに折れて息する秋の蛇

   沙羅ひらくとき老雄をおもわする

   鵙も木も石も白色旅に出るか


  鉱物の石、樹木、鳥は多様で独自の色彩を持っているはずだが、その様態の奥に同じ

 「白」を見取っている詩魂がある。定点観察ではない「漂泊」者の視座で、ものごとの本質

 を捉えているのだ。次の句には、あらゆるものごとに潜在する両義性への深い眼差しがあ

 る。

   直面も仮面におなじ火のまわり

  直面は面をつけていない素顔。火に照らされて陰影を深くする剥き出しの人間の顔であ

 る。

  次の『夏月集』(熊野大学出版局・平成四年刊)頃から、日本人の暮らしの中心を為して

 いたのが稲作文化の自然観、季節感であり、その文化が将来的な希薄化、消滅へ向かお

 うとしている危機感という視座が全面に出てきている。前句集までにはあった前衛的な詠

 法から季語の見直しを軸とした根源的自然詠の方向性に重心が移り始めた句集である。

 その変化というより熟成の方向性は、産土の原初感覚から作品世界を立ち上げる作風の

 作家中上健次と共に創設した「熊野大学」での活動の影響が大きかっただろう。

   天地を巡る熱さを声といふか

   たっぷりと泣き初鰹食ひにゆく

   人あらぬ深山の螢おもふべし


 など、身体と地続きの自然のダイナミズムが取り込まれて、表現が広くて深い強度を獲得

 している。

  次の『記憶』(角川学芸出版・平成二十三年刊)のあとがきに、「振り返れば一句の背後

 に、消した百語千語や、時のひろがり、おもいの深みが蘇ってきます」とあり、その厖大な

 「沈黙」を背負う自在さを実感する。

   八月の赤子はいまも宙を蹴る

   かぶとむし地球を損なわずに歩く

   一村の水吸いつくす茄子の花

   水を飲むための自力や日雷


  「八月の」の句は原爆被害死を背景にしつつも、それを母体の中の命の造形表現とする

 驚くべき視座の深さだ。母体の中の「赤子」は死せず、「いまも宙を蹴る」ようにして、連綿

 と繰り返される「母殺し」という文明禍をその足で蹴り返し続けている。母なる大地を損なう

 ことなく歩む「かぶとむし」という命は、「一村の水吸いつくす茄子の花」のように大地から生

 気を汲み上げて身体を癒す。「日雷」の下、「水を飲むための自力」という命の「自力」を蘇

 生させようとしている。

   眺めよき死地から死地へ青嵐

  この「死地」は最早、かの戦争の戦場ではない。「母殺し」の近現代の日本の荒涼たる光

 景である。深い詩魂を抱く者の心には、経済発展した戦後の日本列島は、空疎で何もな

 い見通しのよい「死地」のように映じているのだろう。

  句集 『円心』 を内蔵する次の句集 『宇多喜代子俳句集成』 (KADOKAWA・平成二十六

 年刊)は、それまでに刊行された句集に加えて、 『記憶』 以後の作品168句を第七句集

 『円心』 として、『集成』 に収めている。「円心 三十句 三月十一日以降 原発を円心として」

 と詞書が添えられた「震災詠」がある。

   乳母車春の宙より突進す

   全円を描く宿題が夏休み

   またここへ戻ると萩に杖を置く

   いつの世の棄民か棄牛か斑雪


  大地に根差す大らかでのびやかな身体性を持つ肉声のような響きの俳句ばかりである。

  次の『森へ』(青磁社・平成三十年刊)は、「宇多喜代子待望の第八句集。原生の森を安

 息の場とし、再生のよすがとすることを念頭に纏められた一冊」と内容紹介されている句

 集だ。

   親を喰う梟を見るだけの旅

   汗の身の深みにひそむ火のゆらぎ


     森へ

   蛇の手とおぼしきところよく動く

   むらぎもの心の一部月色に

   八月に焦げるこの子らがこの子ら


  「八月の赤子はいまも宙を蹴る」「八月に焦げるこの子らがこの子らが」の二句は、今、

 現代俳人すべての心に、母なる大地と海空からの、久遠の警鐘のように鳴り響いている。

  最後に、宇多喜代子氏の次の言葉に耳を傾けよう。

     ※

  願うことは、俳句を俳句として伝えてほしいということである。俳句はボケ防止になるよと

 か、健康にいいよとか、俳句は精神修養になるよとか、楽しければいいのよとか、その種

 のいい加減な付加価値で俳句を俳句以外のものにしないでほしい。消えてしまうものであ

 るなら、俳句は俳句のままで消えてくれた方がいいのである。(略)二十一世紀がいかなる

 時代になろうとも、正岡子規の病状六尺の天地に発した俳句という小さな詩が、いかに多

 くの可能性を模索し、いかに多くの人々に哀惜されたかという事跡は残るのである。その

 末席につながる二十世紀人たるわれら旧俳人としては、以て瞑すべしであろう。

                   (「二十一世紀の俳句の姿―われら以て瞑すべし」※注4)

     ※

  私たちは宇多喜代子氏のこの言葉から何を受け取るべきだろうか。個人の健康・精神

 衛生や国家の国威発揚のために俳句を詠むのは、俳句をそのことに奉仕させようとする

 非文学行為である。俳句はそんな合「目的」的なものではなく、答えのない命の奥深い謎と

 向き合い、一言では言えない「沈黙」の領域に文学的な問いかけをするという精神的営為

 の中にこそ存在してほしい、ということではないだろうか。                ―了



   注1 『王と天皇』筑摩書房一九八八年刊。

   注2 『ひとたばの手紙から―戦火を見つめた俳人たち』邑書林1995年刊。のちに

      角川ソフィア文庫。

   注3 「遥遥抄」『宇多喜代子 花神現代俳句』所収。花神社 平成十年刊。

   注4 平成九年七月「現代俳句」現代俳句協会50周年記念特大号



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