鑑 賞 小熊座主宰高 野 ムツオ
縄とびの寒暮傷みし馬車通る
『夜の崖』 (昭和三十年刊)所収
この句は、寒さが滲み入るような真冬の夕暮、縄とびに無心に興じる子どもたちの前を、
一台の荷馬車が車体をきしませながら通っていくという当時の日本の何処にでも見られた
光景が、そのまま形象化されたもの。しかしながら、この一読静謐の佇いの句が、内包し
ている心的ダイナミズムには、他の追随を許さないものがある。
まず印象的なのはイメージの衝突の具合である「縄とび」という少女たちの活気と「寒暮
」という家も人も押し黙り凍るような静けさの対比。その静けさと地を噛みながら 全身を揺
り動かして通過しょうとする馬車との対比。
この風景について「縄とびもそれを操る者も、否風景そのものが、風景の奥にひそむ人々
の生が虐げられ傷ついてゐるのだ。」と言ったのは塚本邦雄だが、それは感傷や慰籍では
あるまい。滅ぶものと生命あるものとその在り処をじっと見つめ確かめようとする詩人のまなざ
しのことであろう。
ダイナミズムはこの光景全体に充填された音の喚起力にもある。縄とびの地を打つ鈍い音
、少女の縄とびの歌声、そして馬車の車軸のきしむ音。往来の貧しい生活の音もこれに加え
てよいだろう。どれもがささやかで実に親しみ深い音なのだ。その昔の重なり合いは暗に生
きるということの本質的な在り様を開示しているのだといえまいか。金子兜太は「寒い罅(ひび)
」という文章でこの句に触れて「私はこの句を最初にみたとき、ふっと、潮のにおいを嗅いだよう
な記憶がある。そして、空は鈍く、車輪の向うに光り、ときに、その空のかわりに鈍い海の光があ
るようにまで思えた。」と述べている。それは、このような貧しく暗い風景の底から籠もるように聞
こえくる物音と無関係でない。これらを私はかつて「ひそやかな活気」という言い方をしたが、こ
の句が持つ魅力は地の底から沸く歌声そのものである。
(「小熊座」 (鬼房百句)より)
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