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 小熊座・月刊


   2020 VOL.36  NO.416   俳句時評



      兜太、完  ――詠まれざる未完の課題

                              武 良 竜 彦



  昭和・平成の俳句界を熱い志をもって駆け抜けた金子兜太の、最後の句集『百年』が、

 昨年末に刊行された。

  本書の企画編集に当たったスタッフの代表として、安西篤氏が 『百年』 の巻末の「後

 記」で、そして 『百年』 を出した朔出版のブックレット創刊1号で、多数の俳人が、兜太

 の現代俳句の業績について述べている。そんな正の評価の面は、その各氏の評言に委

 ねて、私は一評論子の務めとして、逆の負の面について論述する役目を果たしておきた

 い。

    暗闇の目玉濡らさず泳ぐなり         鈴木六林男

    暗闇の下山くちびるぶ厚くし         金子 兜太

  この二句をめぐって、かつて鈴木六林男の門下にあり、その研究の第一人者、高橋修

 宏氏は次のように述べている。

     ※

  「暗闇」をめぐる二つの俳句の隔たりと、その間に広がるものこそ、戦後俳句と呼

 ばれる荒涼とした領土のひとつであったと、いま差しあたり考えてみることができる

 かもしれない。

  わたしたちは、その荒々しい豊饒な領土を、どのように見ればよいのか。語りつ

 づけることができるのか。あるいは、すでに失いつつあるのだろうか。


  (「六林男をめぐる十二の章」俳誌「57504」鈴木六林男生誕百年記念号の「編集後

 記」から)

     ※ 

  戦後の俳句表現における問題点を、この二句の対比で象徴的に指摘する高橋修宏氏

 独自の詩学的な視線は深く鋭い。彼にはこの二句の精密な読みを起点とする問題の在

 処を具体的に詳述することも可能だったはずである。だが、このように総論的に指摘す

 るに留めている。六林男の句については次のような「読み」を、本論で述べている。

     ※

  人間存在にひそむ動物的とも呼べる生命の危機を孕んだ揺らぎが描き込まれて

 いるのではなか。言いかえれば、安易なヒューマニズムの底板を踏み抜いてしまう

 荒々しい動物的本能にまで接近してしまう情動と呼びうるものが、「暗闇の目玉」と

 いうモチーフの可能性として秘められているのではないだろうか。


     ※

  高橋修宏氏の「読み」では、「暗闇の目玉」は剝き出しの(安易なヒューマニズムの底板

 を踏み抜いてしまう)野生性の表現であるとされる。三・一一体験を潜り抜けて、初めて

 明確に浮上してきた視座、彼独特の震災後詩学の眼差しがある。この「編集後記」で示

 唆した金子兜太の「暗闇」俳句と、六林男の「暗闇」俳句との、容易に超えることのできな

 い「差」がここに指摘されている。

  高橋修宏氏は兜太の句の「読み」については論述していない。蛇足覚悟で敢えて、兜

 太の「暗闇俳句」についての私の「読み」を以下に述べることにしよう。

  兜太句の「暗闇」は、「下山」する身体的状況だけを覆う、目先の利かなさの意味しか

 ない。ただ闇が濃くなってゆく中での「下山」の表現だけが為されおり、重点が置かれて

 いるのは、「くちびるぶ厚くし」という肉体的表現である。実存感は増すが、その分「暗闇」

 もそこに引き付けられて、時空が限定されてしまう。何故そう「読める」のか。

  この句は「存在感の衝動」の表現が現代俳句だとする、兜太の俳句観に添う表現にな

 っているからだ。「下山」している行為者には明確な目的がある。平地への帰還という暗

 黙の「目的」が前提とされている表現である。

  その表現に向かう動機は「戦中派」のものだ。戦中を生き延びた人間は、戦後の命あ

 る日々の肯定感に拘束されて、剥き出しの現実的な「戦後」の得体の知れない「闇」が視

 界に入らない。それが「戦後」を表現する障害にもなっている。兜太の身体性に引き付け

 た造形表現という主張は、主観的な主張に留まっている。身体に張り付き過ぎる表現は

 深度を失い自己完結してしまう。そこからどこへも出てゆこうともしない広がりのない表

 現に陥る。

  金子兜太の「戦争俳句」を引く。

    椰子の丘朝焼けしるき日日なりき

    海に青雲生き死に言わず生きんとのみ

    水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

  兜太は自分の「身体」から出てゆかない。自分の身体の中で沸き起こる「感慨」の表出

 しかしていない。それが兜太の「戦争俳句」の限界であり、同時にまた「戦後の闇」を詠も

 うともしなかった限界と通底するものがあるのではないか。その身体性信仰が故郷の秩

 父の風土から得た日本詩歌の伝統性をも包摂する「天人合一」という詩境にまで拡大し

 ていく危うさを抱え込んでしまった。それは自己表出とは逆立する、指示表出的な言語表

 現に堕してしまう危うさでもあった。合〈目的〉的な、晩年のスローガン的表現(例「沖縄を

 見殺しにするな春怒濤」など)の、かつての「社会性俳句」が陥った言語表現の劣化や、

 「アベ政治を許さない」という解りやすいスローガン言語表現の揮毫に、躊躇いも見せな

 い地点へと、まっすぐ繋がるものだ。戦後は兜太の主張する「身体性」を基調とした「存

 在感の衝動」という「存在」そのものが、疑われてゆく時代だったのではないか。地球規

 模の生命の危機を含む、人間としての存在論的な危機を見つめ、簡単に答えなど得る

 ことができない永遠の問いかけをするのが戦後文学、いや普遍的でもある文学の存立

 的契機となっていたのではないか。

  兜太俳句にはその視座がないが、六林男の「暗闇俳句」と句業にはその視座があると

 いえるのではないか。

  兜太のように「戦後の闇」を詠まなかった(詠めなかっ)たのは、兜太一人ではない。そ

 れが「戦後俳句と呼ばれる荒涼とした領土」に遍在した傾向でもあり、同様に真の震災

 詠が少なかった理由もそこにあるのではないか。

  甚だ僭越で顰蹙を買う批判に聞こえるだろうが、敢えて提言しておきたい。私は「戦後

 の闇」そのものである水俣という「公害」の原点の現場で育った。その戦後の「闇」に向き

 合うことこそが、震災後、喫緊の課題となってきているのではないか、そしてその欠落を

 埋めることが、これからの俳文学の喫緊の課題ではないかと思われるのである。




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