著者略歴

岩手県生まれ、「小熊座」同人/現代俳句協会会員 宮城県俳句協会会員


 

目次

序   高野ムツオ

父の葉書 1991〜1995

猫の耳 1996〜1997

千枚田 1998〜1999

桜   蕊 2000〜2001

瑠璃タテ蝶 2002〜2003  (ルリタテハ・タテは漢字=虫偏に夾)*以下文中同じ

跋   佐藤きみこ

 

 

序 高野ムツオ

 

 澤口和子さんは、小熊座仙台例会の十年以上にもなる仲間の一人である。その屈託のない笑顔や控えめで配慮ある言動から、心のゆとりや自信、そして、なにより生活の充実ぶりが感じられた。実際、句会で発表する作品も明るい色調とリズミカルな韻律を特徴としていて、それは天真爛漫な少女であったであろう頃を容易に想像させるものであった。

 しかし、今般まとめられた『着水』第一章「父の葉書」は意外にもそのような私の印象とは別の趣から始まっていた。

 

  病後なお我が身のゆらぐ鉄線花

  病状を問わるる身なり寒見舞

  秋風が捲るよ友の遺稿集

 

 聞くところによると、和子さんの俳句の出発は二十数年前、谷津桜冬の「行人」に拠るという。「行人」は小誌ながら石田波郷系の俳誌として、仙台で堅実に俳句と取り組んでいる結社だったと仄聞している。俳句との関わりは、掲句からも想像できるように病を得てのことであった。それ以前は日本語や鎌倉彫などに情熱を注いでいたとのことだが、宿痾となったリュウマチは、それら心の支えの道も絶つものであったようだ。いわば、俳句との出会いは、傷心の果ての一縷ともいえるものであったのだ。掲句には初学の作とはいえ、病むわが身の不安と自責、そして、不遇にして若く亡くなった友への悲しみが滲むように感じられる。

 

  父からのハガキは二銭夜長の灯

  すずめ瓜雨垂れの曲聞えそう

 

 病が思わしくなかったことや谷津桜冬の死去などにより、自然俳句から遠離ってしまったが、平成になって和子さんは再び俳句への情熱をよみがえらせた。その当時の句から引用してみたが、現在にも通ずる和子さんらしい思いの寄せ方が実によく表れている。一句目は盛岡で洋裁を習っておいでだった頃に遠く離れていた父から貰った葉書の思い出であろうか。偶々見つけ出した葉書に亡き父を思い出しているのである。葉書に寄せる思いはたくさんあるに違いないが、それらには全く触れず、それがたった二銭の葉書だったことに微笑んでいるのである。二句目は庭先でひっそり実を付けた小さな雀瓜。折からの冷たい雨の雫が、その実からいくつも滴っている。それは不景気でむさくるしい誰もが一瞥もくれないささいなものに相違ないが、作者は、そこに雨を楽しんでいる雀瓜たちの歌声を聞こうとしているのである。

 ここには、悲しみや寂しささえ明日のためと考えようとする澤口和子さんの俳句に向かう態度、生きる姿勢がある。それは彼女の天性の資質であるといって差し支えないだろう。

 

  白鳥の銀の着水チャイム鳴る

  水底の夕日集めにかいつぶり

  思い出を重ねて冬の千枚田

  青空は海猫の遊び場ソーダ水

  鶯や手に乗るような仁王島

 

その向日性に富む感受性が、想像力の翼を十二分に広げたとき、このような佳句を生むのである。はるか彼方から飛んできた白鳥が着水する瞬間、白鳥も水も銀と化し、天上のチャイムが作者の胸に鳴り響く。冬空の下、枯一色であるはずの千枚田の一枚一枚は、ことごとく想い出のページとなって、千の色を作者の心の中に広げる。

 

  児の寝息林檎の花と思うべし

  後の世の吾がみちづれに瑠璃タテ蝶

  亡き人を思いつづけて蔦紅葉

  掌の美男葛に火の匂い

  牛の鳴く度に広がる田植水

  風にならんとキチキチバッタ透き通る

  息つめて貼る金箔や大揚羽

 これらは最後の「瑠璃タテ蝶」の章から抽出した句。澤口さんの口語的な弾むようなリズムは、その発想と切り離すことのできない表現の必然の所産ではあるが、これまでは、それが、ときに詩想そのものの深まりの妨げになることがないわけではなかった。しかし、ここ数年、言葉に程よいブレーキがかかっている。表現が控えめになったというのではない。発想の自在やリズムの弾みはそのままに、言葉に屈折感が増したのである。一句目などその好例であろう。聞えるか聞えないか判らぬほどの児の寝息に林檎の花を夢想している。この夢想は平凡のようでいて決してそうではない。目立たないけれど、ぴんと張られた感性の糸からはねかえってきたような発想の飛躍がある。それは命というものをはっきりと見届けようとする作者の詩的意志がもたらす飛躍といえよう。そして、それが本句集の、ことに後半部の大きな魅力となっているのであり、今後の和子さんの句作りが、大いに期待される所以なのである。

 以上長々蕪辞を連ねたものになったが、最後に和子さんの心身ともに清適たらんことを願って序文に代えたい。

 

  平成十六年立夏                       高野ムツオ

  

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   着 水  澤口和子句集
  
                  
      ふらんす堂刊 定価3,000円

        (200410月22日発行)