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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (107)      2019.vol.35 no.411



         水飲んで首のばしたる羽抜鶏         鬼房

                                   『瀬 頭』(平成四年刊)


  平成2年作、「田沢湖」と題する句群の一句。田沢湖は、秋田県仙北市にある淡水湖

 で、日本で最も深い湖。湖は戦時体制下の昭和15年、食糧増産と電源開発計画のた

 めに湖水を発電用水・農業用水に利用しようと、近くを流れる玉川から強酸性の源泉を

 含んだ水を湖に導入するための水路が作られている。生態系破壊を心配する声も虚し

 く、漁師らはわずかな補償金と引き換えに漁業の職を失い、固有魚を含めた殆どの魚

 類が数年で姿を消している。

  また、田沢湖には「辰子伝説」がある。辰子という美しい娘が、その美貌を保ちたいと

 大蔵観音に百夜の願掛けを行う。その願いに観音が応え、山深い泉の在処を示す。辰

 子は泉の水を飲むが、いくら水を飲んでも喉の渇きは激しくなるばかり。狂奔する辰子

 の姿は、いつの間にか龍へと変化し、田沢湖に身を沈め、主として暮らすようになった

 というもの。

  掲句をこれらの歴史と伝説に引き付けて読めば、一つは辰子を羽抜鶏に譬えた欲望

 の形。もう一つは、昭和15年の湖水利用の水路の形。無知蒙昧に生態系を破壊し、急

 場を凌ごうとする人間の業にかかわってくる。また、それらを俯瞰する作品の情景を通

 じて、俳句の中に一元的でない鶏の像が形成され、読者の前に普遍の形をもって、そ

 の伸びきった鶏の首は差し出される。

                                   (曾根 毅「LOTUS」)



  ほとんどの鳥が年に一度は全身の羽を取り替えるが、飛ぶ能力を維持しながら長い

 時間をかけて少しずつ行う種と、一時期飛べなくはなるが羽を一気に取り換える種の二

 つに大別される。

  後者は、体重の割に翼の面積が小さいカモや、飛ぶことよりも歩くことの多いクイナの

 仲間などであり、鶏は当然このグループに属する。鶏は、先祖がもともと飛ぶのがあま

 り得意ではなかったうえに、人間に飼われてからは益々飛ぶのが苦手になってしまった

 鳥である。

  さて、抜けた羽を散らし、冬羽から夏羽に変わっていく鶏。夏羽が整うまでの間、鶏は

 威厳を無くした姿を晒す。肌が見えるほどに羽の抜けた鶏は滑稽でもあり哀れでもある

 が、中には〈羽抜鶏羽ばたくときの胸の張り(能村登四郎)〉のように、堂々と胸を張って

 いる鶏もいる。

  掲句は、鬼房の第十句集『瀬頭』に掲載。67歳での胃、膵臓、脾臓の大手術から数

 年後の作であり、羽抜鶏に我が身を重ねての句である。〈水飲んで首のばしたる〉から

 は、おもむろに水を飲み、気力を湧かせぐっと胸を張り、眼光鋭くきっと首をのばしてい

 る姿が見える。今は羽抜鶏でも、やがて羽は入れ替わる。掲句からは、自らを奮い立

 たせ、病を乗り越えて志高く句の道をさらに究めようとされた鬼房師の気迫が伝わって

 くる。

                                        (佐竹 伸一)