小 熊 座 2019/5   №408 小熊座の好句
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    2019/5   №408 小熊座の好句  高野ムツオ



    還り来てじさまばさまの雛まつり        植木 國夫

  「かえる」の漢字表記はいくつかある。「返る」は単に元の状態に戻ることで、「帰る」

 は帰郷などを場所を指す。「還る」もそれに似ているが、他の表記に比べ、さまざまな

 過程を経て原点に戻るという思惟的な意味が強まる。「字通」には 「還 (辶トル) は

 死葬のとき、死者の復活を願って玉環をその胸元におく形で、還帰の意を含む」とあ

 る。つまり、死者の蘇りが「還る」の原義ということだ。それを踏まえれば、この句は亡

 くなった老夫婦がいつのまにか家に戻って二人で雛祭を楽しんでいると解することに

 なる。祝福されるはずの孫の姿は見えない。まだ両親とともに黄泉にいる。そう想像

 した時、私には大震災の津波に攫われた悲運の三世代家族の姿が思い浮かぶ。空

 襲を経験された人なら、その記憶と重なってもいい。こんなに楽しそうでこんなに悲し

 そうな雛祭を他に知らない。

    置賜を丸呑みにして雪解靄          清水 紗倭

  山形の置賜。初めて聞いたときから、どこか違和感がある地名と思ってきた。中世

 には「置民」の表記もあったようだ。古代には「うきたむ」「おいたみ」とも呼ばれた。古

 来豊かな土地で、それゆえ権力者が領地にしようと企んだ。「置き賜う」はそれゆえ

 の命名である。恵まれた土地であるがゆえに搾取され続けた悲運の地、置賜。そこ

 を胎内に匿うかのように雪解の靄が覆う。

    春蘭の息を吐く時空青し            齋藤真里子

  小熊座の当月佳作抄欄は、原則一人一句としている。同じ作者に、同人作品と小

 熊座集に複数以上佳作に選びたい句があっても一句だけ掲げてきている。これまで

 も何度もそうしたケースがあった。しかし、小熊座集と同人作品欄とが重なった場合

 は小熊座集の佳作を優先してきている。これは鬼房先生の時代からの踏襲だ。もっ

 ともうっかり同一作者の句を二句掲載してしまった号もいくつかある。述べる機会が

 なかったので、今回記した。佳作抄は一つの目安に過ぎず、掲載されなかった佳作

 も数多くある。この句もそうした理由で割愛した一句。

  春蘭は、日本在来の野性蘭で落葉樹林内に育つ。風通しがよく半日陰が適してい

 る。 〈春蘭に木洩れ日斯かる愛もあり 鬼房〉 の通りである。先生宅にほど近い加

 瀬沼の雑木山にも自生していて、それをよく探しに行かれたとのことだ。近年は乱獲

 や開発のせいで滅多に見られなくなったとも聞く。この句はその花弁を女人の口と想

 像した。そして、その唇から洩れた息が青空となって広がった。俳句にはポエジーは

 不可欠である。

    三日月に星が近づく猫の恋          齋藤真里子

  佳作抄にはこちらを掲載した。猫の恋の句はいくつもあるが、こんなときめきに満ち

 た猫の恋はなかなかない。

    白梅や口碑に波を刻み込み          後藤よしみ

    穢土の地と字に書けばみなかげろえる      同  

  触れるスペースがなくなったが、 「白梅」 の句も同じ理由で佳作抄には載らなかっ

 た。「口碑」とは話し伝えること。「穢土」からは反射的に石牟礼道子の「苦海浄土」の

 浄土が思われる。どちらも大震災の句である。





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