小 熊 座 2018/6   №397  特別作品
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      2018/6    №397   特別作品



        天津想望        浪 山 克 彦


    霾天や生地天津茫々と

    母の乳薄し末子の昼寝にも

    三歳の舌を焦がせり火鍋子(ほうこうず)

    月餅の欠片をしやぶり十三夜

    柳絮飛ぶ黄河の岸の幼稚園

    子燕や園児の歌ふ「マイティーチャー」

    姉にまつわり清明節の爆竹へ

    租界地の路地の揚げ菓子長春花

    南京虫潰す豊かな母の尻

    来客の軍刀怖しかくれん坊

    春笋も切れぬ軍刀父の髭

    哀号哀号(あいごうあいごう)柳の下を葬の列

    葬列を牽く「泣き女」黍を噛む

    姑娘(くーにゃん)は馬賊の裔か蝗食ふ

    黄塵や十九の兄を()りて止む

    無灯火の興安丸の水脈冥し

    父の背打つ冬濤の引揚船

    引揚げの児の老斑や星飛べり

    歳月は苞苞とあり白柳

    死なば骨灰黄塵の空を行く



        臍の緒         春 日 石 疼


    春雨が匿す臍の緒小抽斗

    虫干の胎児とも見え臍の緒は

    真綿は母桐箱は父春の風邪

    臍の緒は樟脳を嗅ぎ春の雷

    午前二時この世の寒へ呱呱の声

    石刃で截つ臍の緒の吹雪くなり

    臍の緒と同じ歳月うららけし

    逃水の母臍の緒と骨遺す

    臍の緒や辿れば母のうすものへ

    命繋ぐものは一本烏瓜

    人類に臍の緒寒卵にカラザ

    臍の緒に拍動の夜地蟲出づ

    臍の緒に似しあれこれや木の芽雨

    朧夜や次男の臍の緒はいづこ

    臍の緒を憧れてをり蝸牛

    臍の緒のはじめはカイン蘖ゆる

    子猫なら胞衣もろともに喰ふか母

    臍の緒や梅雨寒に父逝きしこと

    臍の緒に血の匂ひなく桜漬

    臍の緒は棺へ納めよ花の闇



        遠郭公         草 野 志津久


    鳥の恋磐梯山に裏表

    春夕焼書かねば消えて行く言葉

    春は曙夢に瞼の無い魚

    耳鳴りの止まぬこの頃鳥曇り

    終らねば始まれぬこと遅桜

    飛花落花小籠包の熱き餡

    我が問いに吾が答えて桃の花

    さざめきて寡婦三人の花莚

    尻尾もう溶けて吾妻の雪形兎

    眠るならおぼろ月夜の林檎園

    枝垂れ桜弥勒の膝の辺りまで

    花は葉にあなたは何になりますか

    遠郭公今際の息は吐きしまま

    ひばりひばり死とはどこにも居ないこと

    春の星どこへも行かぬもの探す

    紫木蓮ほどの冥さの今年あり

    来年の桜見たしと果つ日記

    百千鳥生きよ生きよと啼き交す

    魂も茹でて揚げたき春の草

    つかの間の人生に降る桜蕊



        花の風          阿 部 志美子


    三月の余白の続く日記かな

    二百二段ぬらしてやまぬ春の雨

    春風を両手に摑む卒業生

    鰆東風あびて新任外科医来る

    生と死は神に任せて花見酒

    被曝地をめぐりて花の風に会う

    被曝地の人より多き蕗のとう

    そよ風や多国語のせて花見舟

    スケッチの空を流るる花の雲

    海光を集めて島の桜咲く

    明治期の茶屋の名残りや庭桜

    まなうらに松の花咲く雄島かな

    清明のひかりを通すピアス穴

    家系図の七代前は朧なり

    穏やかな一人くらしに黄砂降る

    有のまま生きる一日の蜆汁

    三界を行ったり来たり昼寝覚

    浦風に髪を遊ばせ野蒜摘む

    晩年の息入れてつく紙風船

    春惜しむ放生沼のささら波