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 小熊座・月刊 
  


   2018 VOL.34  NO.395   俳句時評



      忘却を拒絶する能的憑依詠を②
                     ――追悼・俳人石牟礼道子

                              武 良 竜 彦



  今年二月十日、希有の俳人でもあった石牟礼道子氏が逝去された。謹んでご冥福をお

 祈りする。

   わが酔えば花のようなる雪月夜             『天』

   さくらさくらわが不知火はひかり凪             〃 

   童んべの神々うたう水の声           「水村紀行」

   女童や花恋う声が今際にて              〃  

   花ふぶき生死のはては知らざりき          〃  

   わが耳のねむれる貝に春の潮      「創作ノートより」


    (全句集『泣きなが原』藤原書店二〇一五年刊より)

  彼女の俳句は、苦しみの果てに亡くなった被害者たちの心に憑依して詠んだものだ。

 「女童や花恋う声が今際にて」という俳句には、その作句の元となったと思われる「いまわ

 の花」という題の随筆がある。その一部を次に抜粋する。

  (『花をたてまつる』葦書房一九九〇年刊より)

      ※

  極端な「構語障害」のため、ききとりにくかったが、母親だけにききとれる言い方で、その

 子は縁側にいざり出て、首をもたげ、唇を動かした。


  なあ かかしゃん

  かかしゃん

  しゃくらのはなの 咲いとるよう

  美(いつく)しさよ なあ

  なあ しゃくらのはなの

  いつくしさよう

  なあ かかしゃん

  しゃくらのはなの


  母親は、娘の眸に見入った。

  「あれはまだ……、この世が見えとったばいなぁ」と思い、自分もふっとどこからか戻った

 気がした。何の病気だかわからない娘を抱え歩いて、病院巡りも数えきれぬほどして、どこ

 だかわからぬような世の中に、踏み迷っていたような気がしていたのである。

 ―― 桜の時期になっとったばいなあ、世の中は春じゃったとばいなあ、ち思いました。/

 思いましたが、春がちゃんと見えたわけでもなかですもん。それでも、とよ子がさす指の先

 に、桜の咲いとりまして、ああほんに、美(いつく)しさようち、思いよりましたがなあ。/わた

 しはあの頃、どこにおりましたでしょうか。どうも、この世ではなかったごたるですよ。

      ※

  この後、母親が「水俣病」の娘を背負って病院巡りをしていた頃の回想となる。ある雪の

 日、坂の途中で背中の娘が突然激しい痙攣を起こして、二人は崖下の畑に転落し、振って

 来た石にも当たってしまう。幸い二人はそのときは一命を取り留める。文体は母親の独白

 体に憑依して続く。

      ※

  あん時に死なせずに、よっぽどよかったですよ。桜の花見て死んで。

  人のせぬ病気に摑まえられて、苦しんで死んで。その苦しみようは、人間のかわり、人さ

 ま方のかわりでした。そりで美しか桜ば見て死んで。

  親に教えてくれましてなあ。口も利けんようになっとって。さくらと言えずに、しゃくら、しゃく

 らちゅうて、曲がった指で。

  美しか、おひなさんのごたる指しとりましたて、曲ってしもて。

  その指で桜ばさしてみせて。(略)

  わたしは不思議じゃったですよ。この世にふっと戻ったですもん。死んでゆくあの子に呼

 ばれて、花ば見て。どこに居ったとでしょうか。それまでは。

  この世の景色は見えとって、見えとらん。人の言葉も聞いておって、聞こえてはおらん、

 わたしの言葉も、どなたにも聞こえちゃおらんとですもんねえ。ああいう所は、この世とあの

 世の間でしょうばいなあ。

  とよ子が死んでから、自分の躰もおかしゅうなるばっかりで、長うは生きられませんとです

 もんきっと、同じ病気ですけん。あの子の言葉が、時々聞えますと、耳元に。

  死ぬ前に美しかもんの見ゆれば、よか所にゆけるち言いますでしょ。仏さんの世界は遠

 かそうですもん、死んでからまた、その先に往かんばならんところは。十万億土ち云います

 もん。(略)

  (以下、文体は元の作者石牟礼道子氏の語りに戻る)

  溝口まさねという人であった。大工をしていた夫は、娘の後を追うように先に死に、さくら

 の花、というとき、この人は、眉根をきゅっと寄せ、いつもうるんでいた大きな黒目勝ちのま

 なこを思い凝らしたように遠くへ放っていた。かなしみのくれないが、瞼にさして、その顔は

 美しかった。

  人さま方の替りに、人間の負ったことのない荷を負って、八つの娘とともに往くのだとは、

 人柱になる者の想いに近い。望んでなったのではないが、われとわが胸に、そのように言

 い聞かせねば、娘も成仏できまい。(略)

      ※

  「女童や花恋う声が今際にて」という俳句には、そんな石牟礼道子氏の「聞書き」的創作

 体験が背景に滲んでいる。彼女の俳句の一つひとつに、死者たちの思いが、それを代

 弁するかのように込められているのだ。

   毒死列島身悶えしつつ野辺の花

   祈るべき天とおもえど天の病む


  東日本大震災後に発表されたこの句が注目されたが、本来の石牟礼氏の句は死者と精

 神的同居(憑依)をして、この天地の命と魂を「天」は病んでいようとも、そのすべてを受け

 入れ、『苦海浄土』の世界と精神的には繋がりながら、まったく新しい独特の俳句の世界を

 切り開いていた。それは「憑依詠」の一つの到達点だったと言えるだろう。もうその続きが

 読めないことが惜しまれてならない。他の俳人の心に残る憑依詠を最後に揚げて手向けと

 したい。

   逝きし子にまた打ちかへす紙風船          千葉 信子

   亡き娘らの真夜来て遊ぶ雛まつり           照井  翠






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