小 熊 座 2018/3   №394 小熊座の好句
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    2018/3   №394 小熊座の好句  高野ムツオ



    棄民とはのつぺらぼうの福笑ひ        植木 國夫

  どこがよいのか、実はまだよくわからない。だが、薄気味悪くて面白い。福笑いは正

 月の遊戯の一つ。見方によっては異様な遊びである。参加者が取り囲む中、目隠し

 された一人が輪郭だけの顔と相対する。まだばらばらの状態の目鼻口も異様なもの

 だが、それらが置かれようとしている空白だけの顔はさらに奇怪である。それを作者

 は「のっぺらぼう」だという。「のっぺらぼう」は一頭身の目鼻のない妖怪。人が安心し

 て油断をすると正体を現す。別名「ぬっぺふほふ」。江戸期の鳥山石燕の「画図百鬼

 夜行」や佐脇嵩之「百怪図巻」などに描かれている。これらの図ではまだ目鼻の輪郭

 がわずかに残っている。私には福笑いの顔の方がむしろ怖い。非在そのものの怖さ

 である。福笑いは、そこに、どんな形であれ目や鼻や口が置かれてゆくことで怖さが

 解消されていく。その安心感がまず笑いをもたらすのだ。置かれた形によるおかしさ

 は、その後に生ずる。

  この句では、これから置かれようとする目や鼻や口は、すべて棄民のものだという。

 そのとたん滑稽極まりないはずのお亀の顔が悲しみの極みに歪んだ女性の顔にみ

 るみる変わってゆく。恐ろしくて、おかしくて、それゆえより深い悲しみに包まれた顔が

 見えてくる。そこに、この句の重みがある。

    鏡には映らぬ病冬座敷             永野 シン

  映りそうで決して映らぬものを見ようとしている点では前句と共通性がある。但しこ

 ちらは自分の顔。日本では卑弥呼が魏より贈られた銅鏡始め隠れキリシタンの魔鏡

 にいたるまで、その不思議な像を生む魔力に人智を越えたものを受け止めていた。

 神道では鏡は天照大神の化身として崇められ、鏡餅はこうした鏡の呪力に長寿安寧

 を授かろうとして作られた。鏡の不思議な力は、中国の神仙思想の山河を映し出す

 鏡や「白雪姫」の魔法使いの鏡などにも共通する。この句の発想のきっかけ、むしろ

 この「白雪姫」あたりにあるのかもしれない。何でも教えてくれる鏡に、私の病気はど

 んなものなのか問いかけているのである。むろん、鏡は答えるはずがない。しかし、

 問いかけずにいられない、その幼子のような欲求が生む矛盾と葛藤がおかしみを醸

 す。愚かしさを愚かしいままさらけ出すことで、そこに生な人間が表現される。その魅

 力がある。

    縄文に漆櫛あり炉話も              河原 千秋

  漆塗りの技術は、古代中国から伝えられた。漆文化は縄文時代から育まれてきた

 のである。長江流域辺りから船出した人々が、対馬海流に乗って日本へ入り、そして

 もたらしたもののようだ。今残存している最古のものは、石川県田鶴浜町三引遺跡

 出土の漆櫛とされている。縄文前期初頭のものである。その櫛を眺めながら、当時

 の生活を想像しているのが、この句。炉話もまた縄文の昔から連綿と続いてきた営

 みである。多くの昔話には古事記などと共通性があり、地方ごとの独自性も残ってい

 る。文字伝来以前からの営みなのだ。

  大震災の前年、能登の和倉温泉で催されたNHK学園俳句大会にでかけた。その

 折、能登半島を巡ったが、輪島の小森邦衛さんの元を宇多喜代子さんとともに訪れ

 た。人間国宝に認定されている輪島塗師である。下地から上塗りまですべての工程

 を一人で行うが、それだけではない。「籃胎」と呼ばれる器を編む竹まで自ら育て伐り

 乾かし籤にするところから工程は始まる。これからの心配事も伺った。籤を削る刃物

 作りの後継者がいないのだそうだ。もっと大きな課題は漆掻きとのこと。日本の最大

 産地は岩手だが、その継承者が減少している。しかし、日本産の漆でないと良い仕

 事ができないと話す。傍らで若い職人が懸命に籤を編んでいる姿がわずかな希望を

 つないでくれていた。炉話も同様だ。囲炉裏端それ自体もなくなったが、昔話を語り

 伝える風習はすでにここ数十年ですっかり滅んでしまった。五十年前に遠野へ昔話

 採集にでかけたことがあった。その頃の遠野にはまだ昔話は生きて伝わっていた。

 たぶん戦後すぐの生まれあたりが最後の聞き手だったのだろう。掲句からついこん

 なことを思い出した。「漆櫛」と「炉話」の簡潔な並列が想像力を誘う。

    厳寒や矢でも鉄砲でも飛んで来い       蘇武 啓子

  「もって来い」ではない「飛んで来い」である。〈恐ろしきもの飛ぶ雁の飛んだあと 宇

 多喜代子〉とも違った面白さがある。開き直りぶりがいい。どちらも北朝鮮のミサイル

 がモチーフだが、どちらにも、それに限らない普遍性がある。

    ムカサリに降りつもる雪消えぬ雪        水月 りの

  「ムカサリ」は以前解説した。亡くなった独身の若者の冥福を祈る奉納絵馬である。

 もともと「ムカサリ」は「結婚」一般を指した言葉だ。その架空の結婚が描かれた絵馬

 の中にも雪は降り、そして、永遠に消えないのだ。下五が深い悲しみを伝えてくる。

    琉球の海雲を啜る一会かな           神野礼モン

  人と会ったのは、どこでもよいが、やはり沖縄がふさわしい。琉球の語源の一つに

 「魚(うよ)の国」。それがユークーと変化したという説がある。沖縄には「沖の魚場(な

 は)」説がある。受難の歴史が続いた島。その島人と海雲を啜り合って別れた。






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