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 小熊座・月刊 
  


   2017 VOL.33  NO.382   俳句時評



      続・文学的主題詠の可能性―齋藤愼爾句集『陸沈』


                              武 良 竜 彦


  前回の本欄「俳句時評」で文学的主題詠という観点から、その文学的表現の可能性とし

 て、松下カロ句集『白鳥』について論評した。

  同じように文学的主題詠をする俳人、齋藤愼爾氏の新句集『陸沈』が上梓された。その

 句集の巻末収録の「解説」と別添付録の栞で齋藤愼爾俳句論を書かせていただいた。齋

 藤氏の文学的表現方法について、改めて「文学的主題詠の可能性」という論考の続編とし

 て述べておきたい。

  齋藤愼爾氏は一貫して、戦後日本人の風土喪失的精神の空洞を、逆説的な「望郷」とい

 う独自の文学的主題として立ち上げて詠み続けてきた。そのこと自身に現代日本を撃つ強

 烈な批評性があった。多くの俳人たちの句集が、その俳人が生きた一定期間の境涯詠集

 的な傾向が強い事実を鑑みるとき、齋藤氏の文学的主題と詠法は異彩を放つ。明確な文

 学的主題詠をする俳人―独自の視座に基づく批評性を持つ俳句を詠む俳人は、皆無では

 ないが古来稀有である。『陸沈』収録の俳句が詠まれた時期は、東日本大震災が起こった

 年、2011年を含む。この年、総合俳句誌の「俳句」は早くも五月号で百四十名の俳人に

 よる「励ましの一句」を掲載し、「俳句界」も五月号で七十名の俳人が三句ずつ「大震災を

 詠む」に作品を寄せた。「俳壇」は六月号で十六名の俳人の俳句五句とエッセイを掲載し

 た。

  以前、本欄でその詳しい分類分析結果に基づいて論評したので詳細は省くが、表現内容

 にある傾向が読み取れた。

  例えば被災者への祈り・絆、励ましを詠んだり、死者、被災犠牲への悲しみ、悼み、自然

 災害の恐怖や人間の無力非力感、無常観などを詠んだり、被災しても立ち上がる人間の

 生命力と自然の復活力を詠んで、間接的に被災者を励ますというような俳句が大多数を占

 めていた。震災直後、多くの俳人がまるで災害熱にうかされたかのように直情的な表現に

 なっていた。災害規模に比例する衝撃の大きさから、そのような俳句が数多く詠まれたこと

 は、ある意味では無理からぬことであったと、一面的には言えるだろう。

  そんな中で齋藤愼爾氏は俳句総合誌のこれらの企画に応じていない。だが『陸沈』には

 大震災・原発事故という現実から立ち上げたと思われる俳句も収められている。

   
山川草木悉皆瓦礫佛の座          「失蝶記」

   白梅をセシウムの魔が擦過せり      「失蝶記」

  一読して解る通り、当時俳句界に溢れた悼み・絆・無常観の震災詠とは表現の位相が違

 う。何が違うのか。

  多くの震災詠は表現主体の座を、善意ある集団的意志や伝統的な宗教意識のようなも

 のに明け渡していた。

  被災者に対しての「励ましの一句」などという流通言語的な表現や、人間の無力非力感

 から、無意識的な伝統帰りの、日本的無常観に絡めとられてしまっていた。

  だが、齋藤氏は独自の文学的主題の中で俳句を詠む姿勢を貫いている。なぜそんなこと

 が可能だったのか。

  戦後日本人の風土喪失症的な精神の空洞を、「望郷」という独自の文学的主題を立ち上

 げて、逆説的に詠み続けてきた齋藤氏にとって、東日本大震災禍と原発事故禍の光景は

 既視感に満ちたものに感じられたに違いない。

  だから震災禍も原発事故禍も、その文学的主題の中で詠むことができたのだ。自己の文

 学的主題を集団的通俗的表現などに明け渡さない文学者の矜持と、境涯詠俳句の陥穽を

 克服する文学的主題詠の文学的可能性がここにある。

   敗荷を見てをり戦後さながらに      「名残りの世」

   末黒野に天降りし瓦礫涅槃像       「名残りの世」

   斧始めどの人柱から始めよう       「名残りの世」

   鳥引きてわが身を杭と思ひけり      「名残りの世」

   身に入みて塔婆と原子炉指呼の間    「失蝶記」

   蝶消えて一隅昏き夢の界          「失蝶記」

   枯山から葬の手順を指図せり       「失蝶記」

  このように精神性の荒廃した戦後と二重写しのような震災後の荒涼とした光景が詠まれ

 ている。齋藤愼爾氏はこの国の底知れぬ「深淵」を凝視しているが、心に空洞を抱えて盲

 たままの戦後日本人にはそれが見えていないのだ。「塔婆と原子炉」が等距離に指し示さ

 れ、精神の「葬の手順」が「指図」される。

   狐火の失せたる無明長夜かな       「苦艾」

   未生以前の父への供物苦艾        「苦艾」

   来世には新約となれ座禅草         「苦艾」

  苦艾―にがよもぎ。薬草にも用いられ、毒性を持ち、また過酷な原発事故を起こしたチェ

 ルノブイリの地名にも通じる「黙示録」的物語を背負う植物。その名を冠したこの章は破滅

 の予言的イメージに満ちている。

   遠つ世の卯波に杭の身青々と      「飛島―孤島夢」

   海霞吸ひつつ他界をくぐり来し      「飛島―孤島夢」

   蟬の穴千年ののち墓一基         「飛島―孤島夢」

  「飛島」とは齋藤氏の故郷、日本海の孤島の名である。自分の句集において氏は初めて

 その名を冠した章を設け、魂の原点に立ち返ってみせている。それはこの文学的主題詠

 の完結をも意味し、ある種の緊張感を孕む。

  次の「偈」の章から後の俳句がこれまでの句集には無かった汎宗教的主題による新展開

 だ。日本的精神風土の葬送の調べが、汎宗教的な宇宙時間の中に置き直されている。


   一遍のこころに拾ふ落し文         「偈」

   空海の日の暈良寛の月の暈        「偈」

   花野燦燦行く佛界入り易く         「深轍」

   露無辺ひとに遠流に似た訣れ       「深轍」

   涅槃空泛かびてをりぬ飯茶碗       「中世」

   霞吸ひヨブ記の受難を黙示とす      「中世」

   敗戦日少年にいまも蕨闌け        「記憶のエチカ」

  これからの自らの行く手を予見するかのように、句集の後半に超時空、超宗教的視座か

 ら「今」を撃つ四章を置き、文学的主題詠という従来の表現姿勢を継承しつつ、新展開を

 見せている。その向かう先は氏自身にも解らない。

  齋藤氏のように自分が生きた時代に対峙し得る深い批評性を持つ独自の文学的主題詠

 が、私達にも可能だろうか。 その為には惰性的な境涯詠の慣習を見直し、自分にとって

 の文学的主題とは何か、見つめ直す必要があるだろう。




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