小 熊 座 2016/1   bR68  徘徊漫歩25
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     2016/1  bR68   徘徊漫歩 25


               狐が大好き

                                     阿 部 流 水


  鬼房は狐が大好きだった。と言っても、動物の狐そのものというよりも、狐の嫁入り

 や狐火などの俗信、狐が化ける話、土俗的な稲荷信仰などに登場する狐のことであ

 る。特に狐憑きの話をした時の顔と言ったら、よだれを垂らさんばかりに嬉しそうな笑

 みを浮かべ、それでいてどこか奇妙な表情をした。弟が夭折したのは、狐に取り憑か

 れたからだと母から聞いているというのだ。年譜によると、鬼房が五歳だった大正十

 三年、二番目の弟が消化不良で死去している。

  この弟については、第九句集『半跏座』に十三句の連作を載せているが、次のよう

 な前書がある。「幼い弟が消化不良のまま冬に死んだ 巫女の話では蕗の下で昼寝

 してゐた狐の尾を母親が踏んだので 一番弱い児にとりついたのだといふ」。〈日盛り

 の陽の的に母狐顔〉、〈二歳児のおとうとが泣く熱い火薬庫〉、〈幼児ひとり蕗の谷間

 に盲ひたる〉など、どの句も暗愁のイメージに満ちている。狐憑きとは、狐の霊が人に

 乗り移って病気や精神錯乱などの悪さをすること。迷信だが、最近まで広く信じられ

 ていた。狐は鬼房の母や弟と不可分の存在だった。

  狐が人に化けて人を惑わせるのも似たような俗信だが、こちらは不幸をもたらすと

 は限らず、むしろ他愛なくも楽しい話が多い。〈夕霞小狐ならば呼びとめん〉(第九句

 集『半跏座』)、〈料峭や赤坂奴とは狐〉(第十一句集『霜の声』)などは地元、塩竈市

 赤坂の伝説を素材にした楽しい句である。遊郭通いの武士や商人を騙して悪さをす

 る狐が棲んでいたそうだ。狐の嫁入りや狐火も昔から馴染み深い話。〈街の燈がむし

 ろ狐火館の山〉(第四句集『地楡』)は私の大好きな句である。

  私の子供時代までは「こっくり」(「こっくりさん」)という占い遊びが流行った。「狐狗

 狸」と書くのは当て字だというが、狐占いと称して油揚げを供えて行うこともあった。鬼

 房も狐狗狸の句を何句か作っている。〈狐狗狸に憑かれてをりし朧の夜〉、〈或る夏の

 夜の狐狗狸と溢者〉(いずれも第十二句集『枯峠』)。

  稲荷信仰はもともと田の神を祀ったものだが、狐が田の神の使者を務める霊獣だ

 ったため狐も祀られるようになった。やがて農耕全般、さらには商売繁盛や家内安全

 など諸々のご利益をもたらす神として、庶民に信仰されるようになった。お稲荷様の

 小さな祠を庭や裏山など屋敷内に作って祀る家も少なくなかった。私の妻の母は信

 心深い人で、妻の妊娠、出産には子安地蔵や観音に祈願するなど折々に参拝を欠

 かさなかった。ある時、狐が枕辺に現れ、跳ねて踊って騒いだ。これは自分の実家

 (山形県置賜地方)の庭に祀っているお稲荷様が、実家の代替わりとともに荒れたま

 まになっているからに違いない。そう思い当たって、実家にきちんと祀るよう言ってき

 たという。

  こうした精神風土は遠野物語に限らず、ちょっと前まではどこにでもあった。鬼房は

 狐のイメージを使って詩的、文学的に昇華させながら自分の人生や内面を句にした

 のであろう。

                 ×            ×

  昭和62年4月、私は本社学芸部から岩手県一関支局へ転勤し、常在戦場の記者

 生活に追われ鬼房とも疎遠になった。 = 完





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