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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (61)      2015.vol.31 no.365



         不死男忌や時計ばかりがコチコチと       鬼房

                                   『愛痛きまで』(平成十三年刊)


  不死男忌、梅雨が明けて間もない7月25日。日本人が戦争を思い起こす季節が始ま

 る。日米開戦直前、新興俳句に取り組む俳人たちを震撼させた事件は未だつまびらかに

 されない。秋元不死男は治安維持法違反の嫌疑で二年近くも獄中にあった。同じ時期、こ

 んなに長く下獄した俳人は橋本夢道ほか数名いたかどうか。

  しんと静まった深夜(真昼も可)、時計の音だけが耳をうつ。不死男の真実・・・獄中にあ

 って肉体と精神が懊悩する終りのない時の圧力。酷暑と酷寒の中でそれは最高潮に達す

 る。思索と句作の糸は乱れに乱れて、一分一秒が自由を欲したにちがいない。それとは真

 逆の自由と安楽の中で作者は時計を聞いている。が、そこに一点の不安も兆しはしなかっ

 ただろうか。現実に「コチコチと」鳴る機械式時計が作者宅にあったとは(あってもいいが)

 想像しにくく、電気時計からこの音を立ち上らせたのはそれと名指せない不安の意識では

 なかったか。

  夏の物音はかき消えて、想像上の時計音ばかりが時を急ぐ。それは禍々しいものの足

 音を連想させる。 ぼくは、3・11以降に作られた美しい現代文明批判の詩 (としか思えな

 い)、田中庸介氏の「塩漬けにされた鯖と彼女」を想った。その末尾「いち、にい、さん、・・・

 /いち、にい、さん、・・・」。時は進む。時代は繰り返す。

                                (宮崎 直樹「鬼の会」「麻」「連衆」)



  岡本眸に〈つばくらや嫁してよりせぬ腕時計〉の句がある。時計ばかりを気にしていた心

 身ともにせわしい日々から解放され、時の流れを肌身でゆったりと感じ、日常に浸っている

 様子が窺われる。

  しかし鬼房の句はどうであろう。秋本不死男は13才で父を亡くし、貧しい一家を支える母

 を助けながら多感な少年期を過ごした。鬼房も小学校に入るちょっと前に急性脳炎で父親

 を失い、小学校卒業後製氷関係の組合に給仕として就職し、夜は補習学校に通っている。

 鬼房は『証言昭和の俳句』(聞き手・黒田杏子)で『蟹工船』とか『女工哀史』を小学校高学

 年に解説され、生まれもそうだし、感じやすいので後々までそれが非常に生活の中に響い

 てくると言っている。戦前、不死男は西東三鬼らと交流し、「東京三(ひがしきょうぞう)」の名で新興俳句の若

 手として活躍したが、治安維持法違反の疑いで約二年間投獄された。幼少期、青年期に

 おける二人の境遇は似ている。「不死男忌」には鬼房という人間を形成した自身の環境、

 時代に対する深い思い入れがある。

  掲句は最晩年の句である。「時計ばかりがコチコチと」の「ばかり」には一秒一秒刻んで

 ゆく音の中に、おのれの過去を静かに見つめている鬼房の姿がある。そして鬼房の耳底

 には不死男の「カチカチと義足の歩幅八•一五」の句のカチカチが重奏低音のごとくひびい

 ていたに違いない。

                                           (中村  春)





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