小 熊 座 句集  地祇
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句集『地祇
平成26年
銀蛾舎
 

  
  「現代俳句」2015年7月号掲載

  特集「第14回俳句四季大賞」受賞記念


   
受賞句集『地祇』三〇句抄
                 渡辺誠一郎



     涼風は馬の睫毛にはじまりぬ

     母の日の舌にしほがまくずれたり

     影の数人より多し敗戦忌

     滴りは深みには迅き出羽の国

     千年の沖行く闇の鯨かな

     何処へと向かう旅塵や翁の忌

     葦原の風の縺れに百鬼来る

     漂白は鶴の骸を見るためか

     一片の雪消えなんと光なす

     ふらんすのようにあんこう吊しけり

     冬帝の眼窩でありぬみちのくは

     万物は低きに生きて七日粥

     淑気とは紙一枚の立つごとし

     夕風がおろかに涼しふらと行く

     川ばかりみて眉間から夏痩せす

     海よりも淋しき水着みておりぬ

     みちのくの春日の痩せて(しおからき)

     地の底に行方不明の桜咲く

     手を振れば千の手が振る桜の夜

     盗汗かくメルトダウンの地続きに

     奥州一之宮津波の後の水すまし

     死んでなお人に影ある薄暑なり

     祈りとは白き日傘をたたむこと

     慟哭の一幹として裸木は

     海をまた忘れるために葱刻む

     亡き友が泣くところまで行く春岬

     海へ向く細脛ばかり半夏生

     生きるとは帰らざること秋の風

     フクシマの黒旗となりぬ黒牛は

     夏草に沈みて地祇の眠りかな






      受賞の言葉
                   渡辺誠一郎


    『地祇』には、ここ十年間の俳句五八八句を収めた。

   私にとっては、私家版を除くと三冊目の句集。

    いつも思うことだが、自分の句集を開くと、過ぎ去っ

   た影のようなものが浮かび上がる。自らが非力ゆえのこ

   とだろうとも思うが、言葉が永遠のものだとは到底思え

   ない。ただ気持ちだけは先に向かおうと思うが、なかな

   か容易なことではない。

    俳句との出会は佐藤鬼房であったが、はや三十年にな

   ろうとしている。しかし、今なお混迷のなかにいる。

    この度の句集を編もうとしたときに、東日本大震災が

   起きた。仕事柄、震災直後から復旧の仕事に携わった。

   凄惨な光景を前に、俳句への気力は失せ、筆が折れる思

   いであった。生々しい光景はさすがに詠うことはできな

   かった。今回の句集には、かろうじて百句ほど収めるこ

   とができた。ただ、ささやかではあるが、震災のなかで

   は俳句が一つの支えになったことだけは言えそうな気が

   する。大震災も四年が過ぎたが、やっと海を見ることに

   なれてきた。ただ今なお、わが身も俳句も揺れ動いて、

   何かが定まらないような気がする。

    「地祇」は「天津神」とは違い、国津神、すなわち地

   の神の意味である。

    この度の賞を励みに、詩想を深め、まさに地に足をつ

   けながら、自らの世界を綴って行きたいと思っている。




   
  渡辺誠一郎  略歴

          1950年  宮城県塩竈市生まれ

          1987年  佐藤鬼房に師事

          1990年  小熊座同人

          句集に 『余白の轍』(1997年) 『数えてむらさきに』(2004年) など

          第一回 小熊座賞

          第三回 中新田俳句大賞スウェーデン賞

          宮城県芸術選奨(2004年度)

          「小熊座」編集長

          現代俳句協会員  日本文藝家協会員





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