鬼房の秀作を読む (43) 2014.vol.30 no.347
この世にて桐の残花の日暮見ゆ 鬼房
『半跏坐』(平成元年刊)
佐藤鬼房の名を私が初めて知ったのは作品ではなく、文章であった。それは昭和五十
一年の春、『俳句とエッセイ』誌上での佐藤鬼房の「野澤節子私観」である。俳句に興味を
持ち始めたばかりの私にとって「野澤節子私観」は難しかったはずだが、鬼房の文中の言
葉を懸命に追いかけた。節子の「いのちの俳句」三十年の足取りを、鬼房がわが身に照ら
して熱く語り、同世代として戦中戦後を過した鬼房と節子の連帯感がよく伝わる文章に感
激した。それから三カ月後に私は野澤節子の門を叩いた。
掲句は「野澤節子私観」の十年後、鬼房六十七歳の作である。「胃切除のため入院十七
句」の前書が切ない。十七句の中には掲句の他に、山藤・蘭・紫陽花なども詠う。その紫
の花のどの句にも鬱屈した思いがあふれる。紫の色は高貴な色と言われているが、病室
の鬼房には常とは違った不安の色に感じられたのだろう。掲句の前には〈山藤の高きに咲
けりいつかは死ぬ〉の句がある。死を見つめ切羽詰まった思いを「いつかは死ぬ」と言い切
る。対して掲句では、直接「死」を思わせる言葉は使わないが、「この世にて」と「あの世」を
強く意識している。日暮れの空の薄紫の「桐の残花」の存在は、まもなく夜の闇に包まれて
しまうのだ。結語の「見ゆ」こそ、この世に生きる己自身の「いのち」を見つめ静かに自問
自答している言葉だと思える。
(飯野きよ子「麟」)
人はみな死へ向かって生かされている日々、平凡に暮せることを深く考えたりはしない。
それが日常であろう。その日常に異変を来すのは災害や事故、事件であり病気であったり
する。当り前と思っていた事象が胸に迫り、思いが深く五感にひびいて来ることであろう。
「この世にて」に万感迫り来る思いがある。それも「桐の残花」である。咲き出したのでも
なく真盛りの桐の花でもないところに「人生」を思い、日暮どきに佇んでしばし見ている鬼房
の姿が浮かび上って来る。素直に心にひびく作品である。昭和六十一年の胃、脾臓など摘
出手術入院時に詠まれたと言う。
平成四年上梓の「瀬頭抄」に次の句がある。
おろかゆゑおのれを愛す桐の花
手術前の「この世にて」に対して「おろかゆゑ」とこの世に生きているからこその思いがほ
とばしる。「補遺」と添え書きがあるところに、「生かされている」思いが湧いて発表されたの
では――と想像している。鬼房俳句は真に芯の通った強さがある。その体内に通う血潮は
愛となって迸ったように思う。森羅万象の中の一滴となって心を打つ。その生涯を思い、多
くの作品を味わいたいと思っている。
二十数年前、心臓弁膜症の手術を受ける前、この世の何もかもいとおしく大切に思えた
ことを思い出している。
(志摩 陽子)
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