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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (39)      2013.vol.29 no.343



         冬山が抱く没日よ魚売る母          鬼房

                                    夜の崖』(昭和三十年刊)


  「冬はつとめて」、その美しさをただ単純に愛でられるのは、早朝から屋外で働いたこと

 がない者だけだ。み
ちのくの冬の朝、まだ日が昇りきらない時分の港は、寒いなどというよ

 り凍りつくという感覚だろう。魚の商いに
出る女は、早朝の港で売り荷を仕入れてから出か

 ける。一
日を歩き通して、ようやく軽くなった荷を負いつつ辿る家路。或いは露天商として、

 冬の屋外に立ち続けた一日の
終わり。ようやく大気が温まった午後の太陽が傾いて、山

 の端に落ちてゆく景色は、労働と寒さに耐えた一日への褒美として、商いの母を癒す。もう

 少しすれば家族の元へ帰
れるという安堵の表情の母。働き手を早くに亡くし、家計を支え

 つつ子等を抱えた身ならなおさら。「冬山」という
静と、働く「母」という動の対比。日没の冬

 山の枯れの大
景から、前景の母の小ささを描き出す描写。下五の字余りも、母へ感情を

 集約させて詠嘆の響きがありつつ、「か
な」「けり」といったオーソドックスな切字を選択しな

 い
ことで、乾いた抒情となっていて。ナメタガレイ、タラ、ノドグロ、カキといった冬の漁獲の

 豊かさは、天候の安定
による漁にも支えられているのだ。「没日」が冬山に見えるというこ

 とは、明日も晴天である証、明日もまた漁が
あって、売る荷があるという喜び。一日一日を

 労働の糧で
生きてきた者の、厳かな横顔。記憶の中の、母のまばゆさ。没日の残光を負

 って。

                                      (青山 茂根「銀化」)




  鬼房は叙情俳人だと私は思っている。「自分は何者か」を追求し、風土を讃たえ、弱きも

 のへの愛を詠んだ。特に
第二句集『夜の崖』には社会性俳句に属する作品が多いと言わ

 れているが、私の目からは、社会総体に対する怒りよ
りも、弱き個々人への想いに満ちた

 句が多い。

  掲句は、塩竈港に水揚げされる魚類を小売りする権利を保有し、それで一家を養ってい

 た母を詠んだものであろ
う。早朝から日没まで、きつい労働であったに違いない。この母に

 は愛情豊かでしっかり者のイメージが想起され
る。「冬山」が「没日」を抱いているという描

 写がそう思
わせる。この母に畏敬の念を抱いていたであろう鬼房に、読者の思いが至る。

 裕福ではないにしろ、心の安寧が感じ
られる。

  いつも思うのだが、俳句作品はいくつかを併読すると、その味が更に深まる。近くに置か

 れた次の句が参考になる。

   頭もて氷柱欠きたる父貧し  (昭和二十八年)

   食へざれば戦ふ吾に母やさし

   冬山が抱く没日よ魚売る母

   子の寝顔這ふ蛍火よ食へざる詩(昭和二十九年)

  松川事件、スターリンの死など社会性に富んだ話題が多かった時代である。そのような

 時代背景にあって、鬼房に
は自分の家族を含む弱い人たちへの優しい眼差しの句が多い

 のである。

                                              (栗林  浩)





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