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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (37)      2013.vol.29 no.341



         蝦蟇よわれ混沌として存へん          鬼房

                                     枯 峠』(平成十年刊)


  蝦蟇と言えば、筑波の蝦蟇の膏を思い出す。その有効成分の蟾酥は止血・鎮痛作用の

 他に気付・強心作用もあり、
古くから起死回生の貴重な薬物だった。ところで、羿という弓

 の名手は西王母から不老不死の薬を貰うが、それを盗
んで月に逃げた嫦娥がその報いと

 して蝦蟇になったという
伝説も前述した蟾酥の薬効に関係しているのかもしれない。また、

 満ち欠けを繰り返す月は不死の象徴であり、冬眠を繰り返して生きる蝦蟇それ自体も不死

 の象徴とされる。

  もっとも、そうした蝦蟇の神秘性は、古代日本における記紀にも伝えられている。国栖奏

 において神饌となる谷蟆
は、それを食用とし国津神である国栖の人々にとっては命を支え

 る神聖な生き物であった。そして、それは〈この照
らす日月の下は天雲の向伏す極み谷蟆

 のさ渡る極み聞し食
す国のまほらぞ〉と詠まれたように、日本中に遍満する原日本人の精

 霊のごとき存在でもあった。両足で立てずいつ
も両手を土につけているが、水陸両用とい

 う超能力を持つ
蝦蟇はまさに原日本人の超人的性質を象徴しているかのようである。吉野

 のみならず陸奥というみちのくの風土を生のみならず陸奥というみちのくの風土を生
きる

 者にとっても蝦蟇は特殊な存在に違いない。


  鬼房はまさに連綿と続く不滅の魂を蝦蟇の姿に洞見する
と共に、その根源にある生死を

 も超克する混沌という至境
を見据えていたのだと思う。

                          (「俳句スクエア」「海程」「豈」五島 高資)


  蝦蟇は鈍重で一つの塊のようであるが、妙に人間臭いところがあり、悠然と運命に耐え

 る勇者、賢者の面影がある
かと思えば、テコでも動かぬ面魂も持ち合わせている。また蝦

 蟇の油は落語の種にもなり、さらに蝦蟇は仙人や妖術
とも結びつき、非日常に引き入れて

 くれる面白さ等、変幻
自在な混沌とした存在感がある。そしてそんな蝦蟇からは、鬼房先

 生自身の姿をかいま見ることができる。

  したがって、蝦蟇は単なる季語ではなく、寓意的、暗喩的なもので、表現の触発剤でもあ

 り、蝦蟇に呼びかけるとと
もに、蝦蟇に仮託して自分に言い聞かせる独語なのである。

  さて、常に心の奥に混沌、朧化、形のはっきりしないモヤモヤしたもの等を抱えた先生の

 内面界は、ゆっくりと、深
く、鈍く、重い者であろうとした、先生の実像や風貌とおのずから

 重なるし、そのような内面と実像を蝦蟇に重ね
て、自画像を蝦蟇の姿に見出し、それが掲

 句となったので
ある。いわば化学方程式のような関係に観念を整理して出来た句である。

 先生は映画監督のように、混沌としたキャ
ラクターの蝦蟇を脇役として駆使し、人間ドラマ

 を演出し
たのである。そしてそこには、ほのかな哀感と諧謔があるばかりでなく、大手術後

 の境遇等に悠然と耐えながら、希
望を見出そうとする熱い想いと願いが、ズシリと胸に伝

 わ
って来て心揺さぶられる感動が生まれるのだと思った。

                                          (野田青玲子)




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