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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (32)      2013.vol.29 no.336



         夏草に糞まるここに家たてんか              鬼房

                                名もなき日夜』(昭和二十六年刊)

  武田伸一は、この句について「茫然自失の体」だと論じている (『戦後俳句作家シリーズ

 佐藤鬼房集』1969)。
敗戦直後の虚脱感を脱糞が象徴する、ということか。戦争を体験し

 た同時代の人にはそのように読めるのだろうか。
ぼくは、制作時の状況からさらに遡って、

 古典文学とのつ
ながりから考えてみたい。「夏草」とあれば、まず連想するのは、芭蕉の

 〈夏草や兵
が夢の跡〉であろう。この格調高雅な作に対するに、「糞まる」とは思いきって

 卑俗であ
る。しかし、芭蕉もまた「糞」を詠んでいる。〈鶯や餅に糞する縁のさき〉である。俳

 諧とは、和歌の優雅に対して、
卑俗滑稽による新しい詩の世界である。俗とは庶民の生命

 力である。「古事記」において、スサノオは天上の御殿で(くそ)まり散らしき」などの狼藉を働

 く。「屎まり」は神々へ
の反乱であり、やけっぱちな生命力である。スサノオはその後、大宜(おおげ)

 
津比売(つひめ)(ほと)に麦()り」。〈陰に生る麦尊けれ青山河〉はそれを踏まえて

 いるのだろう。こ
れは穀物の生命力を表している。また、長い間、人間の排泄物は農作物

 の肥料であった。糞尿は穀物の生命力の源で
ある。その糞を夏草の野に出す。その地に

 はもとより夏草
の茂る生命力があり、そこに「糞まる」ことでさらなる強い生命力を宿す。そ

 こに家を建てることは、夏草と糞との
強い生命力を、家と人間とに宿らせることであろう。

                                          (今泉 康弘)


  鬼房の「生き難いくらしの叫び」を露にした句である。

  昭和21年結婚。同22年9月にバラックを建てる。12月長女が誕生している (鬼房全

 句集年譜より)。戦争
が終わり、新しい時代への希望よりも不安が大きい時期だったと憶

 測する。

  「夏草に糞まるここに」は、誰(社会)の所為でもない、自分自身の痛みと読み取ることが

 できる。「家たてんか」
は、これから家族を守り、養って行こうという覚悟の決意である。ま

 だ先が見えない戦後の復興時期に鬼房自身が俳
人として、生活者として再出発するため

 の句でもある。


  先日、福島の震災復興応援ツアーで大堀相馬焼の仮工
房を訪れた。浪江町の窯元が

 地震と原発事故で全壊した
ため、二本松市に仮工房を建設して陶器造りを再開している。

 浪江町を余儀なく去ることになった時の悔しい思い
や、再出発するまでの苦労話を聞くこと

 ができた。「糞ま
るここに家たてんか」に重なる。

  鬼房の幼少年期から青年期は、父との別れや戦争体験な
ど辛くて厳しい時代であった。

 「生き難いくらしの叫び」
は鬼房の俳句作り(表現者)の一貫したスタンスであることは言う

 までもない。

   夏草に糞まるここに家たてんか       鬼房

  社会性と鬼房の愛が染み込んだ一句である。

                                              (宮崎  哲)




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