小 熊 座
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 第六回 佐藤鬼房全国俳句大会シンポジウム


           
 鬼房俳句とみちのく   
 

                               平成25年3月24日
                                於 塩竈市ふれあいエスプ塩竈

 本シンポジウムは、第六回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会において実施された。



                
パネラー  田中亜美、神野紗希、矢本大雪、関根かな

               司  会   大場鬼奴多



 司会・大場鬼奴多

  シンポジウムを始めたいと思いますが、先程の小学生の俳句を伺いまして、大人がこ

 れ
から『鬼房俳句とみちのく』を、語ってどうなるという気もするのですが、ここは気を取

 り直して、取り組んでゆきたいと思います。小熊座の大場鬼奴多と申します。どうぞ宜し

 くお願いいたします。

  お手元の封筒の中に、今日のシンポジウムのパネリストの皆さんからすでに「みちの

 く」をテーマにした佐藤鬼房の句を、三句ずつ挙げていただいております。その資料を

 見ていただきながら進めたいと思います。なお、五番目に書いてあります宇井十間です

 が、彼も小熊座の同人なんですが、今アメリカに在住しておりますが、どうしても仕事の

 都合がつかないということで、残念ながら欠席ということになりました。

  それでは、田中亜美さんから簡単な自己紹介も含めてお話しいただきたいと思いま

 す。
田中さん宜しくお願いします。

 田中亜美

  こんにちは、田中亜美と申します。『海程』の同人です。鬼房先生と大変仲が良かった

 金
子兜太のところで修行を重ねております。これから鬼房先生のことについては色々と

 皆さ
んとお話していきますが、ちょうど昨日『海程』では句会がありました。金子兜太、

 九十
……今、三歳、今年四歳になりますが、鬼房先生と同年でございます。元気いっ

 ぱいの金
子兜太から、「鬼房によろしく、塩竈によろしく」というメッセージを抱えて、本

 日、ここ
へ参りました。どうぞ宜しくお願い致します。

 神野紗希

  神野紗希です。宜しくお願いします。私は高校時代に俳句を始めまして、特にどこに

 所
属しているわけではないので、肩書きはなく自由にやっているんですけれども、鬼房

 との
出会いは、この鬼房顕彰俳句大会です。毎年こういう形で掘り下げて、何度も鬼房

 に出
会っているという気持ちです。大学院で新興俳句や前衛俳句の研究を中心にやっ

 ておりま
すので、そういう意味でも、ここで鬼房に会えてみなさんと語り合えるのは運命

 かなと
思っております。今日は特に「みちのく」という、ど真ん中のテーマというか、私は

 愛媛
出身ですので、逆に「みちのく」という言葉に飲まれそうに今なっておりますけれど

 も、
それをしっかり見つめてお話できればと思ってます。宜しくお願い致します。

 矢本大雪

 弘前から、昨年参加させていただいたのに

また懲りずに、この高い所に登らせてもらい

ました。小熊座の、落ちこぼれの矢本大雪で

ございます。私も俳句歴は長くありません。

それでも恰幅の良さからでしょうか、こうい

う所に登らせてもらえるのは。皆さんもあま

りダイエットなどしないでたくさん食べない

といけないということでしょうか。実はです

ね、去年の暮れに、腰痛から足を痛めまして、

松の内の間は、全然歩けない状態で、今も整

形外科に通っている状態なので、今日いろん

な失態がありましたら全部腰のせいだと思っ

てお許し下さい。宜しくお願い致します。

関根かな

 こんにちは、小熊座同人の関根かなです。

俳句を始めましたのは十代の終わりで、何年

経過したかは申し上げられないんですが、鬼

房先生と触れるきっかけとなったのは、以前

もお話ししたんですが、河北新報紙上の河北

俳壇の選者でいらっしゃった頃に投句を始め

まして、何句かご選句いただいて、佐藤鬼房

の存在を知るに至りました。結社などには所

属せずに、1 人で投句を続けていたのです

が、結局鬼房亡き後に小熊座に入会いたしま

して、一度もお会いすることはなく現在に至

ります。今回のテーマである『鬼房とみちの

く』という文字を見た時、言葉を失ってしま

うくらい難解なテーマだなと感じましたが、

なんとか私なりの、鬼房のみちのく観という

のを皆さまにお伝えできればと思います。本

日は宜しくお願い致します。

大場

 ありがとうございました。私は現在東京に

住んでおりますが、栃木の生まれでございま

す。昨日仙台に入りましてテレビを観てまし

たら、NHKでアテルイのドラマを放送して

いました。矢本さんが出てるんじゃないかと

思ったくらい、みちのくを代表する矢本大雪

さんです。それで、関根かなさんもこちら仙

台にいらっしゃると。紹介がありましたけれ

ど神野紗希さんは愛媛のみかん山の麓で育っ

たと。田中亜美さんは、北海道の出身で今は

東京に住んでいらっしゃいます。お手元の資

料で、それぞれ三句いただいているんです

が、田中さんと矢本大雪さんの句が重なりま

して、この句から取り上げてみたいと思うん

ですが、〈地吹雪や王国はわが胸の中に〉と

いうふうに字余りで読んでよろしいんでしょ

うか。これは『半跏坐』という句集に収めら

れております。それでは、まず田中さんから

この句について触れていただけますか。

田中

 すみません、実は私は北海道の出身という

訳ではなく、東京の生まれです。それで北海

― 14 ―

道に住んでたこともあって今は神奈川ってい

うちょっと中途半端なところに住んでます。

関東と北海道に住んでいたということは、み

ちのくはちょっと飛び越えてしまいました。

申し訳ありません。今回の「みちのく」は非

常に難しいテーマだったんですが、みちの

くの人そのものといってよい矢本さんと同

じ〈地吹雪や王国はわが胸の中に〉という句

を選んでいて、ああなるほどなと納得しまし

た。北海道に住んでいたことを振り返ってみ

ても、地吹雪っていうのは本当に、吹雪なん

ですよね。吹雪は吹雪でも、視界を奪うよう

な、目の前の視界を奪うような大変な吹雪で

す。最近は北海道でも遭難事故がありました

けれども、本当に地吹雪がきてしまうと、たっ

た百メートル二百メートル先も行き着けない

んですよね。そのくらい方向感覚が無くなっ

てしまう。この句では、〈地吹雪〉のあとに

〈や〉と切ってまして、そして〈王国はわが

胸の中に〉といっています。そうした中で、

何が自分の場所か、ちょっとかっこいい言い

方をすると「トポス」とかそういうことにな

るのかもしれません。自分の本当の居場所っ

ていうのはどこかっていうと、それはわが胸

の中にあるのだ、というこだわりがこの〈王

国〉という言葉に出ているのではないかなと

思います。このあとの議論で「蝦夷(えみし)」

とか「アテルイ」とかそういった話も出てく

るかと思うんですが、エゾって言ったりエミ

シって言ったりするときには、中央政府の王

下に属さないという響きがありますよね。中

央には属さずに、自分たちで切り拓いていっ

たという響きです。あえて〈王国〉って言っ

たのは、個人のプライドもあるし、それから

一種の反骨精神みたいなものもこめられてい

ると思いました。蝦夷(えぞ)にゆかりある

の者としても非常に好きな句でございます。

大場

 東京はまさに桜が満開になりまして、本当

に春のうららだという感じだったんですが、

矢本さんに電話しまして、「矢本さんそちら

はどうですか」とお聞きしたところ、「一昨

日は真っ白で何も見えなかった」と。まさに

この地吹雪を体感されたままに今日お見えに

なったのかと思いますが、大雪さん、いかが

ですか。

矢本

 今年は、というよりもこの雪の季節は外に

出れなかったものですから、地吹雪には遭わ

ずに済んだ、というよりも、初めのうちは弟

にですね、整形外科まで車で送っていっても

らってたんです。でも弟も途中で飽きてきま

○パネラーが選んだ佐藤鬼房作品三句

田中亜美

虹消えて暗い尾鰭が疾走する(名もなき日夜)

地吹雪や王国はわが胸の中に(半跏坐)

みちのくは底知れぬ国大

おやぢ

熊生く(瀬頭)

神野紗希

青年へ愛なき冬木日曇る(夜の崖)

父たちの夏寒む寒むと火

サラマンドラ

蛇(半跏坐)

霜夜なり胸の火のわが?

あら

蝦え

みし

夷(霜の聲)

矢本大雪

蝦夷の裔にて木枯をふりかぶる(地楡)

水無月のたとへば北に病める葦(鳥食)

地吹雪や王国はわが胸の中に(半跏坐)

関根かな

胸に扉がいくつもありて土用浪(半跏坐)

やませ来るいたちのやうにしなやかに(瀬頭)

あてもなく雪形の蝶探しに行く(枯峠)

宇井十間(欠席)

海嶺はわが栖なり霜の聲(霜の聲)

伊イ

ザナミ

弉冉の死霊が炎だつ白鳥湖(霜の聲)

綾取の橋が崩れる雪催(何處へ)  

????????????????????????????

― 15 ―

して、「もう行かなくていいんだろう」と勝

手に決めましてですね、私が1人で雪の中を

自転車を引っ張って、乗ってじゃなくて自転

車につかまって、歩いて通いました。で、こ

の〈地吹雪や王国はわが胸の中に〉という句

に言及しますとですね、地吹雪の時っていう

のはこの姿勢が大切なんですね。つまり、も

う背筋をまっすぐ立てて胸を張って歩けるよ

うな状態じゃないわけです。今青森県でも、

地吹雪を売り出して、観光にしようという所

もありますけれども、とても前かがみで、し

かも胸を地面に向けてですね、下にしている

というこの姿勢が、多分、この句は大切なん

だろうなとひとつには思います。その屈んだ

姿勢のままでいるけれども実は王国がわが胸

の中にあるんだろうなと。あるんだよ、とま

では言ってないんですけれども、この〈に〉

で止めてるところが怪しいですよね。〈に〉

が無くても句は通用するわけです。〈王国は

わが胸の中〉でいいわけですけれども、なぜ

〈に〉をつけたんだろうかというと、ここに

やっぱり鬼房のこだわりがあったんだろうな

と思います。勝手に読んでいいよと、私は〈王

国はわが胸の中に〉って書いてるけれども、

あるともないとも言ってないところが実に鬼

房らしいなという気がするんですね。もうひ

とつには、この王国っていうのが何を指すか

ということで、少し長くなっちゃいますけれ

ども、例えばね、蝦夷(えみし)の国である

というような具体的なそういう王国ととるこ

とだってできますし、俳句の王国、俳句の体

系、私の俳句は私の胸の中にあるんだ、とい

うふうに取ることもできます。で、鬼房の句

が非常にすごいなと思っているのはですね、

一つの句でも多分読む人によって表情が相当

違うんだろうなと思うんです。だから私のが

正解でもないですし、田中亜美さんも取って

いらっしゃいますけれども、亜美さんのが正

解で、こう読まなきゃならないんだというこ

とはなくて、鬼房の作品は、皆がそれぞれ

好きなように読んでもらえればいいわけで

す。忘れちゃならないのは、この鬼房という

のはなかなか只者じゃない。私は会わなかっ

たので、なんでも好きな事を言えるんですけ

れども、今日のためにですね、勉強のために

もう一度小熊座を読み返してみまして、そう

すると参考になったのが浪山克彦さんの『優

鬼』という題名の連載で、鬼房さんの言語録

みたいなものですね、それがものすごく勉強

になったんです。そこにこういっぱい矛盾が

あったりとかしながら、鬼房さんは皆にヒン

トになるような言葉を言ってるんです。それ

をまともに聞いてしまうと皆多分混乱してし

まうと思うんですよね。ここに一つだけあり

ますけれども、例えば、「最近は気分だけの

句はとらない。土俗だ」と。土俗です、風土

性があるっていうこととかでしょうね。少々

下手でもとるよ、と言ってるけれども、浪山

さんが「そう言いつつも東北の風土を対象に

した句には言葉がきつかったり、こんなこと

観光俳句にまかせておけばいいんだよ、とい

うふうに鬼房さんは言った」というんですよ

ね。ここら辺が一番鬼房さんの特徴じゃない

かなと思うんです。矛盾があるけれども、そ

れは我々にとっての矛盾かもしれないけど

も、鬼房の中では全然矛盾じゃない、という

ところですね。ですからこの、〈王国はわが

胸の中に〉と言ってる王国はいろんな意味で

とれますけれども、これが「わが王国は胸の

中に」じゃないんですよ。そこも面白いとこ

ろです。「わが王国は胸の中に」であれば全

然意味は変わってくるんですけれども「王国

はわが胸の中に」というふうに言っていると

ころがすごく面白いと思うんですね。だから

この〈王国〉は何だろうとすごく魅力的に光っ

てくると思うんです。あの、長くなりますの

でまたこの句については後でまたちょっと言

いますけれども、他の人に回します。

― 16 ―

大場

 ありがとうございます。松山の方では雪は

降ったりもするんでしょうけど、私自身も地

吹雪の、大雪さんの言ったような経験は全く

無いんですが、神野さんは雪は……。

神野

 もちろんないですよね、はい。あの、ぱ

らぱらくらいで本当に積もることもないの

で、そもそも地吹雪というのは言葉の上、映

像の上でしか知りません。で、今矢本さん

おっしゃってああなるほどと思ったのは、姿

勢が前かがみっていうことですよね。この姿

勢で胸を抱く、胸の中にあるここを抱く。こ

の中に何かがある、というような、何かここ

があったかい、ここにあるっていうね、心臓

がそのまま王国の証のような感覚が、説明し

ていただいて、体で私も少しわかるような気

がして、それはやっぱり俳句の中に鬼房が紛

れ込んでいるからだと思いました。この句も

そうですし、私が三句の最後に引いている句

も胸の句ですね。〈霜夜なり胸の火のわが? 蝦夷〉これも少し構造、詠んでいる内容が似

ていますね。結局、鬼房の俳句を読んでいる

と不思議だったのは、みちのくに住んでいな

がら、なんて言うんでしょう、みちのくの素

材をただ詠むだけじゃなくて、やっぱりその

血肉にしているっていうか、単なる素材じゃ

なくて、鬼房にとってみちのくっていうのは

育ってきてそこで自分が育まれていった、細

胞のひとつひとつにみちのくが入っている。

なので外にみちのくがあって、取り巻いてい

るみちのくではなくて、自分の血肉になって

いる、細胞に紛れ込んでるみちのくというよ

うな感じがしました。「俳句の風土性に触れ

て」っていう、今回のみちのくのことを考え

るのに、鬼房の考えが非常に端的に出てい

て、さっきも田中さんと「あ、これだよね、

これだよね」っていう話をしてたんですが。

鬼房って、風土っていうのは単なる特殊化し

て方言を俳句の中に取り入れたりだとか、「み

ちのく」っていう言葉をただ俳句に詠んだり

とかするものは、どうも風土、風土というけ

どそれは風土じゃないんじゃないか、という

ようなことをその文章で言ってます。じゃあ

何が風土なのかというふうに切り返す時に、

ちょっと読みますと「つまり私にとって風土

というのは、人間の生成する地盤のあらゆる

ものを指したい。従って、精神風土もまた私

の風土に当然入ってくる」。また別のところ

に行くと、俳句の場合は歴史的地盤を含む風

土というのはどうしても、歴史とか時間を短

い俳句ではなかなか詠めないので、そういう

ものが押しやられてしまって、自然的地盤と

しての、つまり単純な風土、一般的に風土と

思われている風土のみがどうしても注目され

がちなんだけれども、鬼房、「私はもっと歴

史的人間的地盤の絡み合う風土が詠われてい

いと思う」ということを言ってます。で、そ

の文章の最後の締めくくりで、「私の心の中

には常に山河が棲んでいる。私は私の風土を

綴っていこう」というふうに締めています。

この一言と、この〈王国はわが胸の中に〉そ

れから〈霜夜なり胸の火のわが?蝦夷〉とい

う言葉が、俳句の言葉がすごく響き合ってい

るなと思いました。つまり、鬼房のみちのくっ

ていうのは、鬼房が「みちのく」という言葉、

もしくは「王国」とか、そういう言葉を口に

する時にそれはみちのくの人のみちのくでは

なくて、あくまで鬼房のみちのくなんだって

いうことですかね。なんていうか、その非常

に、一人の胸の中にあるものだと。もちろん

それが共有できることはあるんですけれど

も、やはり〈わが胸の中〉とか、あえて言い

たくなるほどに個人のものであるんだという

ことをここで伝えたいというか、表現したい

という気持ちがこういう〈王国〉の句や〈? 蝦夷〉の句に出ているのかなというふうに今

お話を伺っていて思いました。

― 17 ―

大場

 今の神野さんの話すごく分かりやすいと思

いました。鬼房にとっての風土というのは詩

そのものだったということなのでしょう。そ

ういうことですかね。かなさんは、鬼房先生

とは実際にお会いになったりとか、句会にお

出でになったりとかされてますよね。

関根

 残念ながら私はお会いしたこともお話した

こともないのですが、先ほどもちょっとお話

させていただきましたが、河北新報という地

元紙の俳壇コーナーで選者をされた時に、投

句を始めたのがきっかけで、佐藤鬼房という

存在を知るに至りました。ですから、実は声

を聞いたこともないですし、お会いしたこと

もない、ただその著作であるとか、残された

句から鬼房とみちのくをはかりしれたらと思

いました。

大場

 みちのく以外の者からすると、例えば「み

ちのく」というその言葉の響きからして、最

後に芭蕉がやっぱり西行を求めてみちのくに

入って、巡ってるわけですけれども、かなさ

ん自身のみちのくの捉え方、自分の句の中に

も意識するものってあるんですか。

関根

 実はですね、私自身、みちのくに長く暮ら

しておりますが、実はあまりみちのくという

土地を意識して句を作ってこなかった現実が

あります。ただし、東日本大震災があって、

震災後はかなりみちのくを意識するようにな

りました。ただ、あまりやはり深い意識が今

のところは目覚めないのは、このみちのくの

地もわりと私転々としてまして、矢本さんお

住まいの青森にも住んでたことありますし、

福島にも住んでいたことがあります……また

実は出生地は東京で、各地を転々としている

ので私自身にみちのくが定着していないとい

うのがあるのかなとも思います。句にあまり

みちのくを描出できない、みちのくを描出し

きれてないというところでこのテーマは本当

に私にとってはすごい難解な困難なテーマで

した。私のみちのく観がぼやけているという

か揺らいでいることを改めて認識したという

か、私自身のみちのく観の再認識から始まっ

たという感じです。

大場

 ありがとうございます。神野さんがお取り

になっている句で、〈地吹雪〉の句とはちょっ

と離れますけれども。最初の句ですね。

神野

 そうですね。

大場

 〈青年へ愛なき冬木日曇る〉昭和二十七年

ぐらいの句ですけれども、これはどういう…

…。

神野

 はい。これは今さっきちょっと、紹介した

ように、鬼房にとってみちのくとか風土って

いうものは、単に素材というよりも、何かそ

の人間の姿勢みたいなものに深く関わってい

るものであり、そういうふうな形で俳句に表

れるものこそ多分素晴らしいみちのくの俳

句、もしくは素晴らしい自分の俳句だと、い

うふうに思ってらしたんじゃないかなという

気がしています。ということでいうと〈青年

へ愛なき冬木日曇る〉という、非常に若い時

の句なんですが、これやっぱり、愛媛の人間

からすると、東北のみちのくの地に来た時

に、本当に日差しの量が違うんですよね。東

京くらいまでは多少燦々としているんです

が、こちらに来て、晴れているはずなのに、

日の量が少ない。で、また曇ると本当に何か

が起こるようなというか、何も起こらないよ

うなというか、閉じ込められたような、なん

だかすごく不思議な気持ちになりまして。お

― 18 ―

そらく愛媛で育ったら、〈日曇る〉というこ

の下五、下四になってますけど、ここの〈日

曇る〉とは続けられないんじゃないかなとい

う気がして。ここに特に「みちのく」という

言葉やそれを示す言葉はないんですが、〈日

曇る〉という把握ですね、ここにみちのくで

育った、みちのくで生きている人の芯みたい

なもの、根っこみたいなものが見えるなと思

いました。結局〈青年へ愛なき冬木〉ってい

うところはちょっとロマンチックというか、

ロマン溢れるフレーズなんですけど、最後〈日

曇る〉のところで、すごくどんよりとしたも

の、混沌みたいなものがここにあって、それ

こそみちのくは底知れぬ国で、底知れぬって

ことは混沌っていうことに繋がってくるんだ

と思うんですが、何か、はっきりと明るい、

暗いと言えない、闇とも言えないが何かこう

曇り空の曇りの日の中に蠢いている何かみた

いなものをしっかり捉えていて、単なるロマ

ン主義にとどまらない重みのある句だなと

思ってこの句を選ばせていただきました。

大場

 はい。今日は欠席の宇井十間からメールが

届きまして、今の話に絡むところがあるんで

ちょっと御披露しますと、「私は『鬼房とみ

ちのく』というテーマそのものには、さほど

の可能性を見ていない」。彼らしいですね。「佐

藤鬼房がみちのく出身の俳人であることを、

称揚する、褒め称える人たちは、では仮に彼

が大阪や四国の出身であったならその作品を

読もうとはしないのだろうか。しかし、読者

の側のそのような意図や思い入れとは別に、

鬼房本人にとっては、「みちのく」という語

彙はそれなりの意味を持っていたようであ

る。そこには彼なりの体感された運命のよう

なものが感じられたのであろう。みちのくを

文字通りの東北地方と解釈し、その地理性、

風土性を強調し過ぎてしまうと、鬼房俳句は

逆に痩せてしまう」という言い方をしている

んですが、大雪さん、この十間さんの言い方、

どうでしょう。

矢本

 いや、正しいと思います。というのはです

ね、鬼房が「みちのく」という言葉を使った

のはどの辺りからか、ご存知ですか。一番最

初に「みちのく」という言葉を使ってるのは、

第九句集『半跏坐』ですね。神田秀夫さんが

第八句集の跋文の中で、実は書いてるんです

よね。

大場

 書いてますね。

矢本

 ええ。その時までは「みちのく」という言

葉は一切使ってないんです。鬼房は。で、不

思議なもんで、この跋文の載った第八句集の

次の句集、第九句集『半跏坐』のあたりから、

「みちのく」という言葉は、全句集の中で九

回使ってます。で、この「みちのく」という

言葉を使っても、鬼房の中には、我々が一般

的に俳句の風土性として念頭に置いてる感傷

性とか情緒性みたいなものは、鬼房の句の中

にはあまり見えてこないんですよね。このみ

ちのくに鬼房がどっぷりと浸っているかとい

うと、そうでもない。意外と突き放して、〈桜

にもみちのく日和ありにけり〉という『幻

夢』、これは鬼房が亡くなってからの句集で

すけれども、『幻夢』にみちのくの句が二つ、

〈みちのくに生まれて老いて萩を愛づ〉。で、

『半跏坐』の中にこのみちのくの句がありま

して、〈みちのくの海がゆさぶる初景色〉。非

常に突き放している句ですよね。なんで鬼房

のこういう句を風土性などという言葉で片付

けられるんだろう、と思うくらい。僕はだか

らこの「みちのく」というテーマで鬼房を語

る時に、でもこれ風土性と絡めたって少しも

面白くないな、と思ったんです。鬼房は全部

すごい句。読んでいっても風土性なんていう

― 19 ―

のは感じられないんですよね。普遍性は感じ

られますけれども。この「みちのく」という

言葉を使ってる句が九句、その他に例えば、

いっぱいあるんですけどもね、「北」という

言葉を使ったりしてるのもあるんですけれど

も、「北」できちんと本当に北方の「北」と

いうふうにして使っているのが二十三句、あ

とは北上川とかそういうふうに使っているん

ですけどもね、この「北」でも、特に感傷で

はないんですよね。例えば『霜の聲』の中に

あります〈海霧纏う〉、海の霧ですね、〈海霧

纏う北限の我が椨の木よ〉という句とかです

ね。〈北へ海流涙一粒一粒生み〉これなんか

は意外と少しは気持ちが入っているなという

ふうな、というか、自分でも泣いてるのかな

という感じもしますけれども、ただし我々は

騙されちゃいけないのは鬼房さんていうのは

そんな人じゃありませんから。例えばね、私

が一番すごいなと思うのは、鬼房の句を読ん

でるとこの人の句は例えば、柳生流であった

りとか、北辰一刀流だとか、そういうふうに

みんなに勉強させるための体系を作って剣道

を伝えていくのじゃなくて、宮本武蔵の句だ

ろうなと思っちゃうわけです、印象として。

つまりすごいなっていうのはすぐ分かるんで

す。どうすごいのかと言うと、鬼房は例えば

自分の剣を論理的に、体系的に伝えることっ

ていうのは多分できないんじゃないか。もう

傑物ですよ。達人です。ですから、我々は結

局鬼房の言葉を自分なりに翻訳して、解釈し

てしまってますけどそれは多分違うんでしょ

うね。鬼房の中では全部自分で分かってます

から、きちんとした言葉で説明もできてると

思うんでしょうけれども、実は宮本武蔵が

我々にものを教えているみたいなもんで、そ

れも剣の事でですね、教えてるようなもん

で、ちょっと違うんだろうなというふうに思

うんです。ですからこの「みちのく」という

ときにも、鬼房がそれまで全然意識してな

かったのに神田秀夫さんが「みちのくの鬼房

だ」と言うと、すぐ「みちのく」という句を

作ってみるというようなところなんかがもの

すごく面白いですね。そういう意味で僕は鬼

房の句にはかなわないと言ったらものすごく

失礼なことでありますけど、勉強はうんとし

ますけれども真似することはできないんだろ

うなと。青森県に寺山修司という先輩がいま

すけども、あの人の句だったら真似はできる

んだと思うんですけれども、頭できちんとこ

う計算して作ってますから。鬼房の句はここ

で、胸の内で、心で作りますから、ちょっと

ついていけない。ついていけないっていうの

は嫌いだとか駄目だとかっていうんじゃなく

てですよ。我々がそんな作り方を真似してみ

ようと思ったってできないっていうことで

す。やっぱり鬼房でないとできないんだろう

なと思ってます。「みちのく」だけじゃなく

て、他のことも。また私ばかりがしゃべって

しまいますんで、ちょっとマイクを移します。

大場

 神田秀夫の跋文、手元の鬼房全句集の中に

あるので、短い文章ですけども、読んでみま

す。「跋 本物のみちのく」という表題なん

ですが、「湿度は低く、風さえ澄む。思いや

る人の心がまだ生きている。情に厚いみちの

くの懐かしさ。そこに生まれてそこに生き、

働いて老いた作者が今本物のみちのくを思い

を込めて描き詠う。鍛え抜かれた俳筆を駆っ

て自由自在に縦横に、それがこの句集の特色

だ」。大雪さんが調べてくれたこの「みちの

く」という言葉を使った九句のうちの、代表

的な句だと思いますが、田中亜美さんが三番

目に取っていただいた〈みちのくは底知れぬ

国大熊生く〉。この句について、この「みち

のく」という難解なテーマを含めて。

田中

 はい。ちょっとこの句に行く前によろしい

でしょうか。今、佐藤鬼房という作家は風土

― 20 ―

性に終わる作家ではないとか、「みちのく」っ

て強調することはかえって佐藤鬼房の句を痩

せさせてしまうんじゃないかっていうような

議論が出てきたと思うんですが、私もかなり

その通りだなとは思うんです。思うんですけ

れども、だけどやっぱり、私はやはり鬼房は

みちのくを体現している作家であるんじゃな

いかなという問題提起をあえてしてみたいと

思います。なぜかというと、これは非常に単

純なことで、神田秀夫さんが鬼房に「みちの

く」っていうものを見出している訳ですよ

ね。作者ではなく、読者が、「みちのく」を

感じている訳です。神野紗希さんが出した、

〈青年へ愛なき冬木日曇る〉っていう句につ

いてもやはり、同じように、「みちのく」を

感じる読者がいます。これはたまたま私が、

ここの中では『海程』という別の結社から来

ているんで、金子兜太の話をあえてします

が、金子兜太はこの〈日曇る〉というところ

にまさに、みちのくというか東北の人の訥弁

を感じると、と言っています。〈日曇る〉と

いうように、「日が曇る」じゃなくて、あえ

て字足らずにしたところに、東北の人たちの

訥々とした訥弁を感じ、「みちのく」の風土

性を感じると激賞しているのです。一人の作

家が「みちのく」的であるという時には、単

に地理的な特異性を言っている場合と、そこ

に息づく人々の思いをこめた風土性を言って

いる場合の両方があると思います。風土性っ

ていうのは人間性を介している。だから震災

ということがあってから、「みちのく」って

いうことを逆に意識するようになったってい

うさきほどの関根かなさんの言葉にはっとし

ました。人間が死ぬとか人間が生きるとかそ

ういった根源的な問題に関わったときに初め

てその土地っていうものが見えてくるもので

はないでしょうか。「みちのく」っていう地

名がただのレッテルじゃなくて、風土として

心の中に感じられるんじゃないのかなと思い

ます。だから鬼房さんは、俺がみちのくだよ、

と自分から売り込んだ作家なのではなくて、

人がそこにみちのくを感じてしまう作家なん

です。鬼房さんはみちのくを意識して作って

いる訳じゃないけど、人々がみちのくに見出

すものの原型みたいなもの、憧れみたいなも

のが鬼房の句の中にはあるんじゃないかって

いう感じがします。そういった意味でこの〈み

ちのくは底知れぬ国大熊生く〉は重要な句だ

と思います。正直俳句をやっている人間から

言うと、みちのくと言わずにみちのくらしい

句を選ぼうかなと思ったんですけれども、最

終的にやっぱりこの句っていうのは、佐藤鬼

房とみちのくっていうところで外せない句な

んじゃないかなと思いました。この句は〈み

ちのくは〉って言いながらみちのくに答えを

与えてないですよね。みちのく=底知れぬ国

だっていうことで、自分では分からないんだ

よ、底が知れないんだよ、混沌なんだよって

言っています。ただそれだけだったら観念で

終わっちゃうんでしょうけれども、ここで

やっぱり傑作なのが〈大熊生く〉の具象感で

すよね。北海道と東北の違う所っていうの

は、クマで言えばヒグマかツキノワグマかの

違いだと思うんです。ヒグマはすごく肉が好

きで強暴ですが、ツキノワグマは蜂蜜食べた

りどんぐり食べたりとか、紳士的で人間襲う

わけではない。わりあい親しみやすい感じの

熊です。山の中なんかに入ると熊に会った時

にはどうするかっていうと、「慌てず、騒が

ず、後ずさり」すると助かると聞いたことが

ありますが、この〈大熊〉っていうのもなん

かちょっとそういう人間に似た親しいものの

感じですよね。おやじがちょっと来たとか、

おやじがちょっと怒ってるなとかおやじにな

んか殴られそうとかって、そういう時には慌

てず、騒がず、後ずさりしたりするのではな

いか。あるいはおやじさんちょっと頑張っ

て、っていうような感じで、ツキノワグマに

― 21 ―

呼びかけているような、畏敬の念を持って呼

びかけているような感じもします。

大場

 この〈大熊〉ということは、鬼房は何を言

おうとしてるんですか。この〈大熊〉という

のは。鬼房自身のことなんでしょうか。

田中

 私は鬼房自身のことだとは思わないです

ね。もっと生きとし生けるものに呼びかけて

いるようなスケールの大きい句です。動物に

対してもアニミズムっていうんですか、対等

な感じで、お前さんも生きているんだね、っ

ていう感じで呼びかけているのではないで

しょうか。もちろん、生きているものの中に

は人間も含まれますから、最終的に自分も含

まれるかもしれないけれども、もうちょっと

大きな意味でみちのくっていうものに対す

る、みちのくっていうものを成している、人

間とか生命全体への呼びかけみたいな句かな

と私は思います。

大場

 大雪さんが仰っている、やっぱりそこに鬼

房の普遍性が具体化されているという言い方

をされますか。

田中

 そうです、ええ。

大場

 〈底知れぬ国〉っていった時のさっきの「わ

が王国」。大雪さん、この「国」の違いって

いうのは何か感じるものですか。

矢本

 〈底知れぬ国〉という時は、多分これはも

う地理的なみちのくっていうものがはっきり

意識されているだろうなと思いますね。で、

「王国」といった時には、多分いろんな解釈

ができると思うんですよ。やっぱり私は俳句

であったりとか、それから蝦夷(えみし)の

血が流れている私の生きる場所であったりと

か、それから、私の生活全てを「王国」と例

えて、ということだってできると思うし。た

だし、ちょっと控え目くらいに「王国」とい

うふうにして、自負心は持っているけれど

も、その、俺がすごいんだよということで「王

国」として使っているわけじゃないというこ

とですよね。そこがさっき言った「わが王国」

じゃなくて「王国はわが胸の中に」。地吹雪

はですから、見せてはいないですよ。皆に胸

を割って私の王国を見てくれよ、とかって

言ってるわけじゃない。自慢してるわけじゃ

ない、というふうに思います。それとですね、

ちょっと指摘しておくと、今回皆さんが取っ

てくれた句は、非常に共通性があるという

か、キーワードがだぶっているんですよね。

大場

 そうですね。

矢本

 ええ。王国の「国」というのがあの、〈み

ちのくは底知れぬ国〉もありますし。それか

ら極端に言うと、宇井十間さんが取ってる〈伊

弉冉の死霊が炎だつ〉という、この伊弉冉の

国というのも死霊の国ですよね、黄泉の国の

ことですよね。それから「わが」というのが

共通していくつかありますよね。〈わが胸の

中に〉〈わが?蝦夷〉とか。それから……。

大場

 「胸」もそう。

矢本

 「胸」もそうなんです。だから、こういう

共通性、これがひとつの、鬼房にとっては

ちょっとキーワードみたいになる。で実に

ね、鬼房は「わが」という言葉を非常によく

使ってるんですよ。「胸」も使ってますけれ

ども。「わが」と使ってる句は百五十二句あ

るんです。鬼房の句全部で。ただしその他に

ですね、平仮名のこれ「わが」ですよね。そ

の他に「我(わが)」という、「我(われ)」

というのもありますよね。それからその他に

「吾子(あこ)」という時の「吾(われ)」。吾

― 22 ―

子の吾のほうは四十一句ぐらい。吾子は外し

てですね。全部でやっていくとですね、かな

り……ちょっと待って下さいね、今資料がめ

ちゃくちゃになっちゃってますんで。

大場

 なんか小熊座のデータベースみたいな方で

すね。

矢本

 いえいえ。あんまり大したこと言えない

ので、こういうことでもちゃんと勉強して

いかないと、皆さんの前に立つ意味がない

と思って勉強してきてるだけであってです

ね。ちょっと待って下さいね。「我が」とか

「我」とかそれから「己」とか。「俺」という

言葉も含めて、全句集は約五千二百余句ある

んですけれども、それのうちの二百八十四句

あるんですよ。ほんとの「われ」とか自分を

意識した句というのがですね。これは五パー

セントぐらいに当たります。結構多いだろう

と思いますし、ここに鬼房の特徴はあるんだ

ろうなと思います。で、先ほどの風土性のこ

とに絡めて言いますと、あえて鬼房の作品を

風土性ということに狭小して捉える必要はな

いんです。鬼房が風土を纏ってるのは当り前

のことなんですよ。鬼房は自分で〈切株があ

り愚直の斧があり〉という宣言をしたときに

ですね、僕は宣言の句だと思うんですけれど

も。これとあの〈夏草に糞まるここに家たて

んか〉というのも宣言で、私は塩竈で生きて

いくぞと、いう決意の表明、宣言の句だと思

うんです。私はですね。それを書いたときか

ら鬼房にとって風土性というのは当り前のこ

とであって、何も風土に媚びていく必要がな

いわけですよ。だから、鬼房が土俗のことを

書きなさいよというのは、私はそうしてきた

からあんたたちもそうするべきだよ、とかそ

うなんだろうね当然、というふうに言ってる

わけですけれども、我々が受け取る時には、

風土性、じゃ、青森だったらねぶたのこと書

かなけりゃいけない、とか、桜のこと、弘前

では桜を書かなきゃいけない、みんなこうい

うふうになっちゃうわけですよね。それを鬼

房は「観光俳句だ」とかって言って、切り捨

てちゃうわけですよ。だから、そんな風習と

かですね、身についているものがちゃんとそ

こに土着してればあるんだから、何もそうい

う言葉でおもねって書くんじゃなくて、堂々

と自分の句を書いていけば風土性というのは

おのずから出るんだと思うんです。大きな意

味でね。そういうことでいけば鬼房は風土作

家だと言えるんです。でもあえて小さくし

て、みちのくにいたから鬼房の句はできたん

だよ、なんて言うと鬼房が怒るわけですよ。

やはりそういうこと言われると、私はもっと

アナーキーなんだよと、ということで怒るわ

けですから。怒るというよりも悲しむという

ことでしょうね。お前らよく分かっちゃいな

いなということでね。みんな鬼房を過大に評

価したくないわけですよ。特に鬼房は都と相

容れなくて塩竈に来たんじゃなくて、都を拒

んだわけですから。ですから、〈愚直の斧が

あり〉というふうに宣言して、こちらに、み

ちのくに住んだ。だからあえてみちのくを詠

わなくてよかったのは当り前のことなんです

よ。それを、洒落っ気がありますから、神田

秀夫さんが「みちのくの鬼房だ」と言われる

と、ちょっとみちのく書いてみようかなとい

うふうになるんじゃないかな。茶目っ気があ

る人だなと僕は思いますね。

大場

 ありがとうございます。会場に歌人の佐藤

通雅さんがお見えだそうですが、ここまでの

ところで何かコメントを頂けたらと思うんで

すが。

佐藤通雅

 佐藤と申します。突然指名いただきまし

て、ありがとうと言ったらいいのか恥かしい

と言ったらいいのか。今日のパネラーの皆さ

― 23 ―

んのほとんどは生の鬼房を御存じない方です

よね。私は生の鬼房さんとだいぶお付き合い

させていただきました。で、少しだけヒント

になるかなと思うところをお話いたします

と、まずは鬼房さんの大きな特徴というの

は、やっぱりひとつは「逃げない」というこ

とだと思うんです。逃げない。たまたまこの

みちのくに住んだわけなんですけどね。「逃

げない」っていうことは特にこの東北のこう

いった所に住む者は、惨めに生きざるを得な

いことがいっぱいあるわけです。それを彼は

全身で背負ったということですよね。それか

ら、それに関連しまして、逃げなくて惨めに

ずっと生きてきたというところから、低い者

への、なんて言ったらいいか、眼差しって言っ

たらいいでしょうかね。

大場

 低い者?

佐藤

 はい、低い。高い者じゃなくて低い者への

眼差しっていうのはかなり徹底していたと思

います。それからあの、やっぱりシャイです

ね、恥ずかしがり屋って言ったらいいでしょ

うか。これ、大変強かったと思います。それ

らが総合して一口で言えばやっぱり、彼はア

テルイの精神を生きたのじゃないかという気

がします。鬼房さんのお母様は胆沢、岩手県

の胆沢にお住まいで、鬼房さんも岩手の地に

小さい時は住んでおられました。私も岩手の

水沢の出身なんですけどね。私の地区は水沢

の跡呂井(あとるい) というところなんで

す。跡呂井というのはこれアテルイから来て

いる言葉で、ちょうど私の住んでいる地区と

いうのは多賀城の分家みたいな胆沢城があり

まして、これはあの、中央政権の根城ですよ

ね。それから私のすぐ近くにはアテルイの像

があるんです。アテルイは最後には滅ぼされ

るんですが、水沢地区の人たちはアテルイと

いうのは英雄と思っておりました。多賀城と

反対に英雄と思っていまして、それは惨めに

最後に負けたということもあるんですけど

ね。その惨めに生きていたっていうことの精

神がやっぱり鬼房さんにはあったのじゃない

かと。それでもう少し具体的なことでお話し

しますと、まず彼は身を低くしていつも生き

てこられた方なので、引き際をよく心得てい

たということですね。とにかく短歌の世界で

も俳句の世界でもそうなんですけども、偉く

なってきて年を重ねてくると、特に主宰なん

かなると、その座を去りたくないという気持

ちが出てくるものなんですね。そういった高

い位、名誉欲っていうふうなものが知らず知

らずに身に付くものですから。それを鬼房さ

んはね、大変分かっておられて、引き際を心

得ておりました。自分が病気になった時に

は、潔く地元の河北新報の選者を辞めるとい

うふうに仰いました。この世界では、辞める

なんて絶対仰らないで、よぼよぼになって、

半ば頭脳が壊れるまで頑張る方が多いのが実

情なんです。鬼房さんはきっぱりともう辞め

ると、仰いました。その時に、これ既によく

知られた話なので公表していいかと思うんで

▲佐藤通雅氏

― 24 ―

すけども、選者が辞める時には、自分の結社

の弟子を推薦するものですが、鬼房さんは、

次の選者を推薦する時に自分の結社の方を推

薦なさいませんでした。その場に私は生々し

く立ち会っていました。推薦してくれたのが

高野ムツオじゃないということをはっきり分

かっていたのでね。ああこれはと、こちらが

慌てて、説得に走りました。ここで真意を聞

きたいと。そしたら、こういう世界というの

は、とにかく俳句の結社のそういった繋がり

を大事にするもんだ。鬼房さんはそうじゃな

くて後任を公平に選びたいんだという精神で

した。つまりそれも考え合わせますとね、彼

は人間の一番低いところに絶えず生きていた

んだなと強く思いました。最後までそうやっ

て生きておられたんだなという気持ちがいた

します。そういう意味では彼は、確かにこの

みちのくに住み、生き、亡くなりましたけど

も、やっぱりこの〈大熊生く〉っていうのは

ね、おそらく、〈大熊〉っていうのはもとも

と熊のことを言うんですけども、それを超え

て、おそらくこの、やっぱりアテルイの精神

というのをどこかで意識されていたんだな

と、そういうふうに感じてまいりました。皆

さんのヒントになるかどうか分かりませんけ

ど、生の鬼房さんと付き合ってきた者とし

て、そういう感想を持ちましたので、一言お

話いたしました。ありがとうございます。

大場

 ありがとうございました。今の佐藤通雅さ

んのお話を伺って、改めて鬼房に連なる中に

いられて喜びを実感しております。神野さ

ん、全体の句について一つ一つ扱えてなくて

申し訳ないんですが、お出しになった句の中

で、このことに触れたいっていうことがあっ

たら。

神野

 そうですね、今のお話にまさにそうだなと

いうところは、私もこの〈みちのくは底知れ

ぬ国〉の句を、もし他の方出してないなら、

入れて下さい、もしそうでなければ〈?蝦

夷〉の句にというふうにお願いしていたので

すが、この句がやっぱり、みちのく鬼房と言

えばこれだろうという感じがします。やっぱ

りもちろん熊としての〈大熊〉、そこから自

分の父親だけではなくて、やはり父祖の地っ

ていうんですかね。みちのくは父祖の地であ

る。自分たちの父祖であるというところが、

非常に色濃く出てて、そこに繋がる私であり

ながら、その遙かな血の果て、血を遡っていっ

た果てまで遡るとやはり底知れない、という

ことかなと思います。そういう意味では私の

挙げた二句目もそういうところがあって、〈父

たちの夏寒む寒むと火蛇(サマンドラ)〉、サ

ラマンドラっていうのは火から生まれて火を

食べて生きる蛇で再生、フェニックスのよう

な、そういうイメージを持たされた、西洋の

詩でよく出てくる精霊なんですが、ここで

「父」ではなく〈父たち〉っていうふうに言っ

てるわけですよね。やっぱり自分の父の夏が

寒む寒む、ではなくて〈父たちの夏〉ってい

うのはやはり、ここと〈大熊(おやじ)〉が

響いてくるのかなと。で、〈大熊〉という言

葉を別の言い方で言えばそれは「父」ではな

く〈父たち〉になる。そしてそれはただの夏

ではなく、やはり〈寒む寒む〉、〈夏寒む寒む〉

である。ここのところですね。しかしサラマ

ンドラのように、死んでは常に復活し、ずっ

とこう、冷たい、寒い、と暑い夏。寒い、霜

夜の霜と火、というように、熱いものと冷た

いもの、そういう相反するものを全部飲み込

みながら、父たちは生きてきたんだと。それ

が自分にとってのひとつのみちのく、という

ふうに捉えているような気がこういう句を見

てるとしました。

大場

 なるほど、ありがとうございます。関根か

なさん、三句挙げていただいてまだこのこと

― 25 ―

に触れてませんが、ぜひここで、ひとつ触れ

たいとしたらどれでしょう。

関根

 先ほどの、通雅さんのお話にちょっと胸が

熱くなってしまいましたが。「逃げない」「全

身で背負った」「低い者へのまなざし」とい

うあたりの精神が宿る一句なのかと思うの

が、私が二句目に挙げた〈やませ来るいたち

のやうにしなやかに〉です。『瀬頭』所収の

一句なんですが、『瀬頭』ではこの句の前後

に、「やませ」を詠んだ十三句の連作があり

まして、〈やませ入りこむ内陸へ内臓へ〉と

いう感覚にも惹かれたのですが、また他の具

体的な言葉でやませの恐ろしさを表現してい

る句もあったのですが、やはりこの〈やませ

来るいたちのやうにしなやかに〉の官能的と

もいえる無比の表現に最も、みちのくの魅力

を感じました。ご存知のように「やませ」は

東北地方に、梅雨明けの六月から七月頃に吹

く冷たく湿った風のことで、作物などに酷い

冷害をもたらします。みちのくが大きな打撃

を受ける異常気象です。「いたち」もまた小

柄な体格ながらも非常に強暴な肉食獣で、小

型の鳥類はもとより、自分の体よりも大きな

鶏や兎なども、単独で捕食したりします。し

かしその細長い体と動きは非常に俊敏でまさ

しく「しなやか」といえます。その「いた

ち」の獲物に忍び寄る動きをみちのくに入り

込み、湿った冷たさをもたらす「やませ」に

近づけて、みちのくの地に立ち、しなやかに

対峙している姿が、みちのくを体現している

のではないかと思いましてこの句を選びまし

た。冷害をもたらし憎むべき「やませ」とみ

ちのくに根付いている鬼房、みちのくに根付

こうとした鬼房は微動だにせずしなやかに向

き合っている。みちのくの秘めたる力も感じ

ました。みちのくにいなければ冷たさを感じ

られない「やませ」をこの句においては否定

も肯定も受容もせず、みちのくにおいて特化

される異常気象をしなやかに句材として用い

ています。流麗で稀有な、みちのくを詠んだ

一句だと思いました。またこの、一文字だけ

の「来る」という漢字、「やませ」の到来を

しなやかに意識している部分に繋がってくる

と思いました。『鬼房とみちのく』というテー

マを与えられた中で真っ先に浮かんだ一句で

す。

大場

 ありがとうございました。田中さんが一句

目に挙げていただいた〈虹消えて〉という句

は、『名もなき日夜』という句集に入ってい

ますね。

田中

 これは初期の句です。先ほど私も、佐藤さ

んのお話を伺ってちょっと胸が熱くなりまし

た。鬼房さんの思い出と言うと本当にもう晩

年だったと思うんですが、東北大会で一緒に

なったときに、俳句を始めたばっかりの私

に「兜太なんてやめてうちに来ない?」みた

いなことをおっしゃって下さったことが印象

に残っています。本当は行っちゃえば良かっ

たのかも知れません(笑)。兜太はいつも句

会で鬼房さんのことを「オロナミンCが大好

きだった」とかってしょっちゅう話してます

し、改めて深いつながりを感じます。で、こ

の句をなぜ選んだのかっていうのは、この

〈暗い尾鰭が〉っていうところで、東北の塩

竈の湾の青黒い海流みたいなものが思い浮か

んだということもあります。同時に先ほど神

野さんが言われておりました、『俳句の風土

性に触れて』という文章について思い出しま

した。この文章の中の鬼房さんの言葉で忘れ

られないのは、自分が一番風土っていうのを

意識したものは終戦一年を経て、焦土の日本

に帰ってきたときだという言葉です。焦土の

日本で目に触れるものは外国の軍隊や闇屋

で、まさしく植民地であったときに、日本っ

ていうことや、風土っていうことを私は最も

― 26 ―

感じたっていう一文に非常に感じ入りまし

た。できれば初期の句から選びたいなという

ことで、この句はみちのくを全面には出して

ませんし、具体的に何がっていうことではな

いんですが、〈暗い尾鰭が疾走する〉という

ところに、冷たい海流が見えてくる、情熱の

ようなものが見えてくる、いうことで選びま

した。

大場

 ありがとうございます。大雪さん、ぜひこ

れは言っておかねば青森に帰れないという何

か……。

矢本

 そんな贅沢なことは全然ないですけれど

も。あの、答えの出ないことをちょっとこ

う、皆さんにも提示しておきたいなと思うん

ですが。例えば、私の取った〈蝦夷の裔にて

木枯をふりかぶる〉。「ふりかぶる」というの

は普通の辞書には、たとえばピッチャー振り

かぶって、というふうな使い方しかないんで

す。でもこれ、普通に、多分木枯らしを身に

被るということで使ってるんじゃないかなと

思ったんですけれども、もしかすると、鬼房

のことだから本当に木枯らしを鷲掴みにして

振りかぶってるのかな、と思わせるところが

あるんですね。こういう魅力がある。それか

ら、関根かなさんが取ってくれた〈あてもな

く雪形の蝶探しに行く〉いい句だなと思うん

ですけども、よくよく考えてみると、蝶形の

雪を探しに行くんだったら理屈としてはスト

ンと落ちるんですよね。雪形って皆さんどん

なものを想像しますか。雪なんて形がこう、

あって降ってくるようなもんじゃない。蝶は

だいたい羽をこう描けばですね、形っての

が見えるんですけれども。「雪形の蝶を探し

に行く」という言い方っていうのが、表現で

すね。だから、既存のものに媚びないで、鬼

房は自分で言葉を作るっていうか、まあ作り

過ぎるところもあるんでしょうけれども、表

現を求めていってる。こういうところも私は

武蔵だと思うんです。宮本武蔵であって、人

に理解されなくても我が道を行くんだ、とい

う。ただ、後輩のために、ここはこういうふ

うにして、正眼に構えてこうこう振りかぶっ

て、突っ込んでいけば、剣道の体系としては

出来上がるんだよ、俳句の体系としては出来

上がるんだよということは念頭に置いてない

んですよね。それでも親切に皆に一生懸命に

指導していくというところがあるんであっ

て。この皆さんの取られた句の中でこう見て

いっても、本当に〈地吹雪や王国はわが胸の

中に〉の〈に〉を入れるのかとか〈ふりかぶ

る〉であるとか、それから、宇井十間さんの

ね、〈伊弉冉の死霊が炎だつ白鳥湖〉であっ

たりとか。全く普通の発想の中からは出てこ

ない。また、発想が何とかできたとしても言

葉がついていかない。こういうところが、全

句を通じてあると思いますので皆さん探して

みて下さい。そういう鬼房の魅力っていうの

は、敵わないな、と思いながらやっぱり好き

だなあと思って。だから会いたかったなとも

思うけれども、会ったら叱られるだろうなあ

と思いながらね。まあ会わなくて私はよかっ

たのかもしれませんけれども。高野ムツオさ

んについていきますんで。で、ムツオさんに

ついて行きながら、あの、佐藤先生の、やっ

ぱり鬼房さんの俳句も勉強したいなと思って

いきます。

大場

 ありがとうございます。今回のシンポジウ

ム、十分なお話にはならなかったかと思いま

すが、また来年も機会を頂ければ、また勉強

して参りたいと思いますので、どうぞ宜しく

お願い致します。今日はありがとうございま

した。

※パネラー予定だった宇井十間さんは、急な

事情で帰国出来ず欠席となりました。






 
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