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 小熊座・月刊 
  


   2013 VOL.29  NO.332   俳句時評



          一冊の全句集から思うこと

                              渡辺 誠一郎

  人は未来を見ることはできないが、過去を見ることはできる。われわれは未来へと生きよ

 うとするとき、過去のさ
まざまなことから学ぶべきことはあまりにも多い。しかし過去の出

 来事が、必ずしも正確に整理されて伝わっている
わけではないのだ。

  それゆえ、現在に生きるわれわれ自身が常に過去という時間と対話し、向き合い、問い

 続けることでしか、真実あ
るいは埋もれていた出来事に出会うことはできない。

  宇多喜代子は、長年、忘れ去られようとしている俳人の足跡を追うことに取組んできた。

  昭和五十九年には、激戦地のニューギニアで戦没した片山桃史の作品や資料を調べあ

 げて、『片山桃史集』にまと
めあげた。宇多は戦地から帰ることが叶わなかった片山に、

 の墓標にもまして、句集という「紙の墓標」として残し
てあげたかったと語る。まさに鎮魂の

 仕事。

  このように過去に人知れず埋もれてしまった俳人の姿を明らかにしようとする宇多の姿

 勢からは、俳句への熱き想
いのまま若くして死んだ者と無念さを分かち合うことで、彼らへ

 の供養とするとともに、句業を後世に知って欲しい
という使命感のようなものが強く伝わっ

 てくる。特に若い
世代に知ってもらいたいというメッセージが込められている。

  それは、宇多自身が、戦前・戦中・戦後の時代の俳人とその時代を知らない世代へ橋渡

 しができる立場にいること
を強く意識しているからに違いない。

  この度、宇多は新たに、昭和初期に新興俳句の世界で優れた作品を残したにもかかわ

 らず、俳壇から消えるようにし
て去った藤木清子の俳句の世界を、『ひとときの光芒―藤木

 清子全句集―』(沖積舎)として編んだ。女性俳句、あ
るいは新興俳句の歴史を知るため

 にも貴重な一冊である。

  「あとがき」によると、藤木の俳句を俳誌から抜き書きを初めてから三十数年が経つとい

 う。全句集は、藤木が昭
和十年代初期に発刊された俳誌 『蘆火』 『旗艦』 『京大俳句』

 『天の川』『セルバン』に投句し、掲載された作品をまとめ
たものだ。時代は昭和六年から

 十五年までの時期に当たる。

  すでに宇多は 『イメージの女流俳句―女流俳人の系譜』の著書の中で、藤木を「生没不

 詳」として取り上げている。

  藤木が特異なのは、新興俳句の世界で最初に登場した女性俳人であり、優れた俳句を

 残したにもかかわらず、生年
はもとより、現在も消息不明ということだ。生前藤木に会っ

 俳人に桂信子と伊丹三樹彦が知られるが、ほとんど藤木
の人となりは知られていないとい

 う。

  本書には、宇多が九十八年に「藤木清子とその周辺」と題した講演(現代俳句協会神奈

 川地区大会)も巻末に掲載
されている。これによると、当初藤木は藤木水南女の名で昭和

 六年に創刊された「蘆火」に投句していた。それが昭和九年十月に終刊するにともない、そ

 の三か月後に日野草
城によって創刊された「旗艦」に二号から参加する。その後『京大俳

 句』や『天の川』にも投句するようになる。


   こめかみを機関車くろく突きぬける

   虫の音にまみれて脳が落ちている

   ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ

   しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ

   戦死せり三十二枚の歯をそろへ

  これらは『旗艦』に掲載された藤木の俳句。無季の句にみるように新興俳句特有の表現

 の影が及んでいるのは明ら
かである。特に〈刃物〉の俳句には、当時の戦時下の状況と己

 自身の心象へと切り込む、まさに刃物のように鋭い言
葉が印象的だ。

  新興俳句に詳しい川名大は、藤木を「昭和十年代の俳句表現史に名を刻むことのできる

 優れた作品を遺した女流俳
人として、随一の俳人である」と位置付ける。作風の特徴につ

 いては、新興俳句のスタイル〈エスプリヌーボーの領
域〉と寡婦として銃後(戦争俳句)の世

 界の二つをあげて
いる(『挑発する俳句 癒す俳句』)。

  藤木は新興俳句を作っていた夫の藤木北青を病で亡くす。やがて昭和十五年の十月号

 に 〈ひとすじに生きて目標
失えり〉 との俳句を最後に消息が切れる。

  全句集のページを捲ると、「放浪の弟に寄す」 「怨しき思ひ出」 「しいたげられたる妻の

 手記」 「ある頽廃主義者の手
記」 「不眠症」 「寄食日記」 「入院断章」など、暗くて重苦しい

 前書が痛々しいほど目につく。

   文学は遠し油虫に這ひ寄られ          藤木 清子

  宇多はこの句に象徴される藤木の世界の根拠を、寡婦となるなどの厳しい境遇以上に、

 藤木の資質に求めている。

  「句の作り方そのものに限界があったのではないか、と思われます。よほど強く、意識的

 に自己更新をしてゆかな
いと、自分で自分に疲れてしまう。自分を背負いきれなくなる。目

 標としていたものが文学であったとして、自らの
何がどうその文学なるものと接しているの

 か、そこのとこ
ろが自分でわかっていなかったのではないか。」と厳しい。

  しかし、個人の資質にも時代が大きな影響を及ぼすものだ。時代が資質をむき出しにす

 ることもあるが、それを時
代、あるいは状況が優しく包み込むことだってあり得る。そうであ

 ったらまた別の姿を見せたのではないかとも思え
てくる。宇多は「もっと自在な気分で俳句

 に親しんでいた
ら」と問い掛けるが、個人の資質を時代からどこまで切り離すことができる

 のだろうか。いずれにしても、時代は男
にとっても、ましては寡婦であった藤木自身にとっ

 ても、
そして俳句表現にとっても不幸な時代であったのだ。藤木の場合、孤愁の影が濃す

 ぎる。多くの女性が俳句に親しむ
ようになった反面、シングルマザーや不正規雇用などの

 言
葉が氾濫する現代を思うとき、藤木の人生は今なおリアリテイさを失ってはいないとも思

 える。

  宇多は藤木を俳句史の中の「一閃の光芒を放って消えた短距離ランナー」であったとい

 う。全集を紐解きながら藤
木の生涯を改めて考えをめぐらすとき、宇多の次の俳句を思い

 浮かべながら感慨を一層深くした。

   粽結う死後の長さを思いつつ           喜代子





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