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 小熊座・月刊 
  


   2011 VOL.27  NO.315   俳句時評



          天然の無常

                             大 場 鬼奴多

  道路を走り続ける乗用車。その車窓から見えるのは、瓦礫の山と灰色の荒野。未曾有

 の大震災と津波の爪痕が淡々
とスクリーンに映し出された。東日本大震災の被災地を映

 したドキュメンタリー映画「無常素描」(大宮浩一監督)が公開された。四月下旬から一週間

 岩手県大槌町から福
島県三原町までを車で南下した。作品にナレーションや音楽はなく土

 地や人物の名前も明かされない。静寂の中、
聞こえる風や波の音、鳥の声が印象的だ。


    
たとえば太陽は50億年後に燃え尽きるそうですが、それも仏教では一瞬のこと。はじ

  めも終わりもなく、永遠に続くとするのが無常観です。西洋は無常を受け入れませんが、

  日本人は仏教の無常観を受け入れますね。しかし一方で物理的には西洋の水準にあっ

  て、この点、二重構造になっているわけです。こう考えますと、国家的危機が訪れたとき

  どんな原理で生きていくかが問題です。今回の原発事故に際し(物理学者の)寺田寅彦

  がかつて述べた、不安定な自然と付き合う中での日本人の自然観、天然の無常というも

  のに私は思いを致すのであります。


  これは岩手県出身の宗教学者、山折哲雄氏が被災地を訪
れた体験に触れながら「いの

 ちの彼岸と此岸そしてその先
へ」の講演での一節だ。文明が進むに従って人間は次第に

 自然を征服しようとする野心を生じ、重力に逆らい風圧水力に抗するような造営物を作っ

 た。そして自然の暴威を封
じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に自然があばれ

 出して高楼を倒壊し堤防を崩壊させて、人命財産を
滅ぼす。考えてみれば、日本は地震、

 津波、台風などの自
然災害に繰り返し見舞われ、多くの犠牲者を出してきた。


    文化が進むに従って個人が社会を作り、職業の文化が起こって来ると事情は未開時

   代と全然変わってくる。天災による個人の損害はもはやその個人だけの迷惑では済ま

   なくなって来る。村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば多数の村民は同時にそ

   の損害の余響を受けるであろう。(中略)各種の動力を運ぶ電線やパイプが縦横に交

   差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは、高等動物の神経

   や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障が起これば、その影響はたち

   まち全体に波及するであろう。


  昭和九年(1934)十一月に『経済往来』誌に掲載さ
れた「天災と国防」の中で、寺田寅彦

 は今日の大災害をす
でに予見していた。

  動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え動く、そ

 ういう体験を持ち伝えて来
た国民と、そうでない国民とが自然というものに対する観念にお

 いてかなりに大きな隔たりを示しても不思議ではな
い。人間の力で自然を克服しようとする

 努力が西洋におけ
る科学の発達を促した。これに対し日本人は、自然の充分な恩恵を甘

 受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自
然に順応するための経験的知識を収集し

 蓄積することを
つとめて来た。


    
山も川も木も一つ一つが神であり人でもあるのである。それをあがめそれに従うこと

   によってのみ生活生命が保証されるからである。また一方地形の影響で住民の定住

   性土着性が決定された結果は至るところの集落に鎮守の社を建てさせた。仏教が遠い

   土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教義の含有するいろ

   いろの因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい。思うに仏教の根底にあ

   る無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一因では

   ないかと思うのである。地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住む

   ものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ

   渡っているからである。


  寺田は「日本人の精神生活」でこうも述べている。


   
 石山の石より白し秋の風          芭蕉

    夕風や水青鷺の脛を打つ          蕪村

    夕立やかみつくやうな鬼瓦         一茶

   気象や植物などの空間を構成するものと、そこにいると精神や観念がふと能動的にな

  る場所的なものとが、互いに作用しあい、組み合わさってつくられる風土的な特性があ

  る。「花冷」「晩春」「入梅」「残暑」といった感覚の内奥をわれわれ日本人は存分に知って

  いる。さらには「ふるさと」「おもかげ」「みやび」「さび」「あはれ」とよぶものも。 

   俳句を研究しているあるフランス人に言わせると、日本人は一人残らずみんな詩人で

  あるという。これは単に俳句の詩形が短くてだれでもまねやすいためであると思っては

  ならない。そういう詩形を可能にした重大な原理がまさに日本人の自然観の特異性の中

  にあって、その上に立脚しているという根本的な事実を見逃してはならないと彼はいう。


  最後にもう一度寺田の言葉を借りれば、地震や津波は頑
固に、保守的に執念深くやって

 来る。科学の方則とは畢竟
「自然の記憶の覚書」である。自然ほど伝統に忠実なものはな

 いのである。
  



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