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 小熊座・月刊 
  


   2011 VOL.27  NO.309   俳句時評



          紀行文としての『おくのほそ道』

                              渡 辺 誠一郎

  松尾芭蕉の『おくのほそ道』は俳句を手掛ける者のみならず日本の代表的な古典として

 多くの人に親しまれている。特にわれ俳人にとっては、俳句の世界のバイブルといってよ

 いのかもしれない。バイブルゆえ、〈信仰〉の書ゆえ、批判も控えめになりがちである。多く

 は絶賛そのもの。

  板坂輝子著『江戸の紀行文』(中公新書)を手にした。副題に「泰平の世の旅人」とあり、

 江戸期の紀行文を鳥瞰させてくれる好著。板坂氏によると、江戸期は、世情の安定に伴っ

 て、現代の旅につながる、旅を楽しむ時代の幕開けの時代にあたるという。旅をする人や

 旅を楽しむ人が増えると、旅の案内の書として紀行の書が広く求められ、読まれてくるの

 は当然のことになる。つまり、国内を自由に行き来できなかった中世の頃の「心情の追体

 験」から、「楽しさの追体験」として変化が見られるのである。

  板坂氏はこの著書で、江戸期の代表的な紀行文をいくつか紹介している。「『おくのほそ

 道』は名作か?」との興味ある書き出しから始まり、林羅山、石出吉深、貝原益軒、本居

 宣長、橘南谿、古川古松軒、小津久足などの代表的な著作を取り上げて、丹念に江戸期

 の紀行文の紹介しながら、表現内容や時代的意義を明らかにしている。ここで取り上げら

 れている橘南谿、古川古松軒はよく知られていて、私も手に取ったことはあったが、林羅

 山、貝原益軒、そして本居宣長までが、すぐれた紀行文を認めていることは知らなかった。

  医師であり、『養生訓』や『女大学』でわれわれには親しい貝原益軒が、朱子学者としても

 知られ、さらに地誌の書物を著している。また、国語学者で、『古事記伝』や『源氏物語玉

 の小櫛』などで知られる本居宣長もすぐれた紀行文を残している。両者は、書物だけの知

 識に頼ることに批判的で、現地での調査に基ずく知識を重視したところが共通している点

 であるという。

  このような江戸期の紀行文のなかで、芭蕉の『おくのほそ道』はどのような位置づけにな

 るのだろうか。紀行研究家の立場からの結論はこうだ。

   「江戸時代の紀行の代表作は松尾芭蕉の『おくのほそ道』ではなく、初期の貝原益軒の

 『木曽路記』と中期の橘南谿の『東西遊記』、後期の小津久足の『陸奥日記』である。」  芭

 蕉のそれは、「名作」ではあるが、江戸の紀行としては「異色作」であるという。板坂氏は、

 「迷作」の一歩手前の異色作であるとまでいう。異色ゆえに他に似たような作品が少なく、

 時代を代表するものではない。それゆえに、近世紀行の世界には影響を及ぼさなかったこ

 とになる。すなわち、「俳諧の世界ではともかく、紀行作家たちの中では、芭蕉の影響は皆

 無に近く、彼やその作品と関係のない場所で、近世紀行を生み育てる営みは行われてい

 た。」というのである。

  『おくのほそ道』をはじめとする芭蕉紀行の魅力は、世の中が平和になり、地方文化が発

 展して旅が娯楽化していく時代にあって、それ以前の古い紀行をあくまで基調にしている。

 具体的には、「都をはなれて地方にいく恐怖と悲しみ」や「日常を捨てて非日常の毎日を過

 ごす不安と緊張」を、そのまま受け継ぎ、再現してみせたことにある。」ということになる。し

 たがって、「『おくのほそ道』に漂う孤独や悲壮感といった基調は、それ以前の古典的な紀

 行の伝統であり、意識して守られている分、いっそう純化されている。」現実をみることが

 薄く、古人の言葉へと回帰する世界ゆえに。紀行の世界の基本からはずれてしまうのだ。

  このような紀行研究者からの結論は、われわれも了知していたことでもある。たとえば、

 中世というか、奈良平安の時代に文芸の世界で作り上げられた、都と鄙の構図は、そのま

 ま『おくのほそ道』の世界の基調をなすものである。それゆえ、東北に身を置くわれわれの

 時空から、わが細道に踏み込んでくる芭蕉一行をみると、その視線は明らかに現実を見て

 はいない。中世などの古いの世界観の〈色眼鏡〉を掛けた顔つきだ。私の住む塩竈の下り

 でもそれは明らか。

  仙台藩四代綱村の御代にあって、芭蕉と同時代の西鶴が「好色一代男」の主人公を、遊

 郭などでにぎわいを見せた塩竈は、『おくのほそ道』の世界にあっては、〈辺土〉、〈道の果〉

 であり、あくまでも〈塵土の境〉でなければならないのだ。このように粘着的に三度にもわた

 ってみちのく塩竈の「鄙ぶり」が繰り返される。一方、数少ない例だが、塩竈の下りの中で

 漁師の「肴わかつ声」という現実の肉声に、古今集の歌の一節、「つなでかなしも」を対比、

 挿入することで、時空を複合的に重ね合わせる効果も忘れない。

  また、白河の下りでは、短い文章の中に、平兼盛にはじまり、能因法師、源頼政、藤原

 清輔と古人の言葉が並びひしめいて、芭蕉の言葉はほとんど消えかかる。芭蕉の頭は白

 河の現実から浮遊し、中世の世界に没入している。紀行研究者の板坂氏によって指摘さ

 れた芭蕉の中世偏愛の姿勢は、紀行の世界に置いて検証することで一層浮き彫りになっ

 た感がする。もちろん当時の文芸の世界にあっても、芭蕉の世界はやはり「異常」な姿を

 みせていたことをわすれてはならないだろう。よく知られることだが、同じ江戸期の読本作

 者で知られる上田秋成が、芭蕉の時代錯誤的なふるまいを揶揄していたのを見てもわか

 る。

  紙面が尽きたが、いずれにしても、江戸期の紀行の世界における『おくのほそ道』の位置

 付けを、板坂氏の著書で知っただけで大きな収穫であった。紀行の世界に置くことを通し

 て、〈天地俳諧にして万代不易〉を目指した芭蕉の「風狂」の姿勢は、やはり際立ったもの

 であることが確認できた。歌枕に象徴される言葉の幻想が、現実と超越して、芭蕉の詩の

 魂を揺すぶり続ける。そのことが、『おくのほそ道』の特異な魅力を作り、芭蕉の表現の強

 さの秘密でもある。



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